プレミアリーグ アーセナル

不完全の美学。今こそ評価されるべき新アーセナル

 アーセナルはここ数年構造的な問題に悩まされている。これらの戦術的欠陥は強調され何度も崩壊してきた。多くの人が同意するだろうが、彼らはクラブをその状態のまましているもののそれについて気にしてないようだ。1月アーセナルはトップ6の中で最低の守備記録を残したもののそれについては半ば無視し、アーセナルはヘンリク・ムヒタリアンとピエール=エリック・オーバメヤンとのサインへと動いた。しかしこの契約はほぼ例外なく非難されている。

 純粋に攻撃に特化したチームを想像してほしい。クリエイティブなミッドフィールダーや豪華なプレーメイカー、スピードあふれるフォワードを豊富に有するクラブを想像してほしい。欠陥があろうともゴールが確約されている、試合を観るのがほぼ毎回楽しいクラブを想像してほしい。彼らが本調子の時どんな相手でも倒せるが主要なタイトルを獲得できないクラブを想像してほしい。これは最も応援したくなるクラブだ。しかしこれはアーセナルであり、アーセナルを嫌っている人は数多い。

 実際、最近のアーセナルに対して抱く一般的な感情は一定的に怒りを示している。ファンや中立の立場の人たちはクラブがシーズン通して期待を裏切ること、映画「恋はデジャ・ブ」のような過去の失敗の繰り返し、そして変化できない、もしくはしたくないという姿勢にウンザリしている。理論上は怒りを拡散するのではなく、喜びを広げるべきチームであるのだが。

 この感情はクラブの過去と未来によって悪化しているのではないだろうか。アーセナルはプレミアリーグの優勝争いをすることに慣れていたし、チャンピオンズリーグにおいても真の優勝候補だった。そして資金力、ファン、歴史、選手と下部組織を有することによって今でもそれらのことは可能なはずだ。しかし今彼らはそうではない。彼らはトップ6の中で4位以内に入るか国内カップ戦を勝ち取る可能性しか持っていない。しかし現在のアーセナルには、プレミアリーグにおけるこのチームにとっておきの重要な地位が用意されているのだ。

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