
SANYO(三洋電機株式会社)/リーベル・プレート(1992-1995)
アルゼンチン、ひいては南米を代表するビッグクラブで、2025年にアメリカで開催されたFIFAクラブワールドカップ(クラブW杯)にも出場したリーベル・プレートの胸スポンサーを務めていた三洋電機株式会社。
同社は洗濯機などのいわゆる「白物家電」や電池、ソーラーパネル、エアコンなどに強みを持ち、特にデジタルカメラのOEM供給元として世界トップシェアを誇った。「デジカメ」という言葉は三洋電機の登録商標(現在は失効)であり、その先進的な製品群を世界市場へ広めるため、南米の名門クラブの胸スポンサーに就任したとみられる。
1954年に株式上場を果たし、その後東証一部に指定替えされたが、2011年に上場廃止。21世紀に入ると急激に業績が悪化し、石油ファンヒーターやガス給湯器による死亡事故といった不祥事も追い打ちとなった。最終的に2011年にパナソニック株式会社の完全子会社となり、翌年以降「SANYO」ブランドは順次「Panasonic」に置き換えられた。
アディダス社製の当時のユニフォームは“レア物”として人気が高く、現在でもフリマサイトなどで1万円を超える高値で取引されることがある。

mita copiers(三田工業株式会社)/アストン・ビラ(1983-1993)
プレミアリーグ発足前のフットボールリーグ時代から、1992/93シーズンのプレミアリーグ初年度まで、10シーズンにわたりバーミンガムに本拠を置く名門アストン・ビラの胸スポンサーを務めたのが、昭和9年創業の三田工業株式会社である。1983年から1993年までユニフォームには「mita copiers」(1987年までは「mita」)のロゴが掲出されていた。
同社は出版事業からスタートし、その後コピー機分野で世界的なシェアを誇るトップメーカーへと成長した。「コピーは三田」というCMは、昭和世代であれば一度は目にしたことがあるだろう。スポーツ事業にも積極的で、女子陸上競技部を保有していただけでなく、1987年から1990年にはスペインのアトレティコ・マドリードの胸スポンサーも務めた。
しかし、デジタル化の波に乗り遅れたことで経営が急速に悪化。加えて放漫な同族経営に加え、1986年から11年間にわたる粉飾決算が行われていたことが発覚し、1998年8月に会社更生法の適用を申請した。負債総額は2,056億7,800万円にのぼり、当時の三田順啓社長らには実刑判決が下された。
その後、2000年に京セラが100%出資し、完全子会社として再出発。「京セラミタ」へ商号を変更し、2012年には現在の「京セラドキュメントソリューションズ株式会社」となっている。
現在は、セリエAのトリノをスポンサーする自動車・バイクメーカー「スズキ株式会社」や、日本代表FW浅野拓磨が所属するスペインのマジョルカを支援する「株式会社タイカ」など、日本企業は欧州サッカーにおいて一定の存在感を保っている。
少し時代をさかのぼれば、バルセロナには楽天、ローマにはマツダやトヨタ、フィオレンティーナには任天堂、チェルシーには横浜ゴムが胸スポンサーに就いていた。近年、オンラインベッティング会社のスポンサーシップに逆風が吹き始めていることを考慮すれば、日本企業が再び脚光を浴びる可能性も十分にあるだろう。
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