
サッカークラブにとってスポンサー企業は運営資金を支える重要な存在であり、同時に企業側も社名や商品名、ブランド名をアピールできる“ウィンウィン”の関係にある。
日本企業が世界市場を席巻していた1980年代、サッカーは国内プロリーグもなかったこともあり(Jリーグ創設は1993年)、海外の一流クラブの胸スポンサーとなることが一種のステータスであり、企業メセナやブランド向上の一助となっていた。
しかし、1990年代前半に起きたバブル経済の崩壊、その後の低成長期、さらには現在もなお続く、いわゆる“失われた30年”によって、日本企業が欧州クラブの胸スポンサーに付くこともめっきり減った印象だ。
ここでは、かつて欧州サッカークラブの胸スポンサーとなりながらも、2000年代以降に様々な事情により消滅した日本のスポンサー企業に焦点を当て、その背景を探っていきたい。

JVC(日本ビクター株式会社)/アーセナル(1982-1999)
実に18シーズンにわたり、アーセナルの胸スポンサーを務めたのが日本ビクターのブランド「JVC」だった。JVCのロゴは、アーセナルの黄金期を象徴する存在として今もファンの記憶に刻まれている。
ジョージ・グラハム監督の下で、1986/87シーズンにはリトルウッズ・チャレンジカップ(現カラバオ・カップ)を制し、1988/89シーズンおよび1990/91シーズンにはフットボールリーグで優勝。さらに、1992/93シーズンにはFAカップとリーグカップの国内二冠を達成した。その後、1996年に名古屋グランパスの指揮を執っていたアーセン・ベンゲル監督を招聘。1997/98シーズンにはプレミアリーグとFAカップの二冠を果たし、JVCのロゴとともに輝かしい戦績を残した。
JVCは1927年、アメリカのビクタートーキングマシン社の日本法人として設立され、1938年に独立。海外市場では「Japan Victor Company」の略称である「JVC」をブランドとして採用し、特にVHS方式ビデオの国際展開で名を広めた。アーセナルとの長期スポンサーシップは、製品ブランドの世界的浸透に大きく貢献した。
スポンサー契約は1999年に終了。その後を引き継いだのは、同じ日本企業であるセガだった。1999/2000シーズンから2シーズンにわたり、家庭用ゲーム機「ドリームキャスト」を前面に押し出した「Dreamcast」ロゴ(大会によっては「SEGA」ロゴ)がユニフォームを飾り、オーディオ・ビジュアルからゲーム産業へのスポンサーシップの移行を象徴した。
企業としての日本ビクターは、2008年にケンウッドと経営統合し「JVC・ケンウッド・ホールディングス株式会社(現・JVCケンウッド)」の傘下に再編。独立した法人としての日本ビクターは消滅した。これにより、アーセナルのユニフォームから消えたJVCロゴも、企業統合によるブランド消滅の象徴と重なる形となった。

KENWOOD(株式会社ケンウッド)/ジェノア(1994-1995)
1994/95シーズン、アジア人初となるカズこと三浦知良のセリエA挑戦。その移籍先はセリエA創設以前を含めリーグ優勝9回を誇る古豪ジェノア。ユニフォームの胸スポンサーには「KENWOOD」が付いていた。当時、一部では“スポンサー付き移籍”と揶揄され、入団会見では「スポンサーを得るために獲得したのか?」と意地悪な質問も飛んだ。もっとも、KENWOODのスポンサー契約はカズ加入以前から続いていた。
日本ではセリエAの試合が地上波でも放送され、サッカーファンは深夜にテレビにかじりつきながら、世界的名プレーヤーが集結した世界最高峰リーグのレベルの高さを目の当たりにした。さらに地元紙「イルセコロ12」によると、ジェノアの港に大型船が寄港できるように水深を深くする工事を日本の総合商社が支援したと報じられ、日本の鉄鋼会社も地元企業との協力体制を強化したという。
わずか1シーズンの所属、しかもヴェルディ川崎からの期限付き移籍にもかかわらず、カズの加入はジェノバの街にジャパンマネーを呼び込み、街の発展に寄与したとされる。カズもKENWOODが胸スポンサーに付いたことについて問われると「それも選手としての価値」と、あくまでもプロとしての姿勢を貫いた。
カズの挑戦を支えた株式会社ケンウッドは、ジェノアがセリエBに降格したこともあって1シーズン限りでスポンサー契約を終了。その後2008年には、前出の日本ビクターと経営統合し、現在は「株式会社JVCケンウッド」として存続している。「KENWOOD」ブランドは現在もカー用品、オーディオ機器、無線機器などに受け継がれている。
58歳の現在も、JFLのアトレチコ鈴鹿で現役を続けているカズ。最年長出場記録が更新される度、そのニュースはイタリアにも打電され、驚きをもって報じられている。
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