CL/EL パリ・サンジェルマン

PSGでCL制覇のルイス・エンリケ監督は、W杯失敗から何を学んだのか

ルイス・エンリケ監督 写真:Getty Images

スタイルの固執や「パニックの5分間」

こればかりはエンリケ監督だけのせいではないが、スペイン代表はW杯で開催国に勝ったことがない。そのジンクスは強力で、2002年の日韓W杯では準々決勝で韓国代表にPK戦の末に敗れたほどだ。初優勝した2010年の南アフリカW杯では、開催国の南アフリカ代表がグループステージで早々に敗退したことが追い風となった。

カタールW杯決勝トーナメント1回戦モロッコ代表戦では、地元のカタール人ファンが同じイスラム圏のモロッコの応援に回り、半ばアウェイのような雰囲気の中で戦わされたことも不運だった。

また、中盤はペドリ、ガビ、セルヒオ・ブスケツ(いずれも当時バルセロナ)と盤石だった一方で、前線はマルコ・アセンシオ(当時レアル・マドリード)、フェラン・トーレス(バルセロナ)、アルバロ・モラタ(当時ユベントス)など、所属クラブで定位置を取り切れていない選手や出場機会を求めて他国クラブへレンタル移籍している選手が多く、層の薄さは否めなかった。

バルセロナで欧州CLを制した時の強力3トップ「MSN(リオネル・メッシ、ルイス・スアレス、ネイマール)」とは比べるべくもない。

それでもエンリケ監督率いるスペイン代表は伝統的なポゼッションスタイルに固執し、ボール支配率は高いものの、相手の堅守を崩す決定力が不足。相手の守備ブロックに対し効果的な崩しができず、攻撃が停滞し、スペイン紙『マルカ』は「ポゼッションを無限に積み重ねた」とエンリケ監督を批判した。

さらに日本代表戦では、後半開始直後に連続失点を許し逆転された“事件”を「パニックの5分間」と名付けられ、エンリケ監督自身も「完全に我々の武装を解いた」と、試合中の戦術修正や相手の勢いへの対応が不十分だったことを認めざるを得なかった。モロッコ代表戦に臨む選手に対し「W杯までに少なくとも1000回はPKの練習をしてきてくれ」と伝えていたことを明かし、メディアやスペイン国民を呆れさせた。

身も蓋もない言い方だが、エンリケ監督は個を生かすことには長けているが、引いた相手を崩す戦術を持ち合わせてはいなかったのだ。


ルイス・エンリケ監督 写真:Getty Images

PSGで進化させたこと

カタールW杯後にスペイン代表監督を退任したエンリケ監督は、約半年のブランクを経て、2023/24シーズン開幕直前にPSGの監督に就任。W杯での失敗を糧に、PSGでは戦術や試合へのアプローチを進化させた。

戦術の柔軟性、適応力

カタールW杯ではポゼッション偏重が裏目に出たため、状況に応じた戦術の切り替えの必要性を学んだ。PSGでは、ポゼッションだけでなく、カウンターやダイレクトプレーを織り交ぜた多彩なスタイルを採用した。

2024/25シーズンの欧州CLでは、チームの中心だったフランス代表FWFWキリアン・エムバペ(現レアル・マドリード)を失いながらも、フランス代表FWウスマン・デンベレをセンターフォワードにコンバートし、ナポリから獲得したジョージア代表FWクヴィチャ・クワラツヘリアや、弱冠20歳のフランス代表FWデジレ・ドゥエを積極的に起用した。

ラウンド16のリバプール戦(2025年3月6、12日)ではアウェイでのPK戦を制し、準々決勝でアストン・ビラ(4月10、16日)、準決勝でアーセナル(4月30日、5月8日)を撃破。決勝ではインテルを5-0で圧倒して優勝。相手に応じた戦術の変更が功を奏した。エンリケ監督は「スタイルを変えるつもりはないが、状況に応じて最適化する」と語り、柔軟性を強調して胸を張った。

W杯日本代表戦での「パニックの5分間」のように、急激な試合の流れの変化に対応できなかったことから、PSGでは試合中の選手交代やフォーメーション変更も頻繫に行い、流れを引き戻す力を見せた。例として、CLノックアウトフェーズプレーオフ、スタッド・ブレスト戦(2025年2月12、20日)では、革命とまで呼ばれたプレッシングによって主導権を握り続け、2戦合計10-0の圧勝を収めた。

メンタル面の強化、メディア対応

また、W杯モロッコ代表戦でのPK戦による敗退は準備不足とメンタル面の弱さが原因だったとし、PSGでは選手のメンタル強化とPK戦のシミュレーションを徹底。リバプールとのPK戦では、GKジャンルイジ・ドンナルンマが2本のキックを止めて勝利し、エンリケ監督は「PKは宝くじじゃない」と準備の重要性を強調し、W杯での反省を生かしている。

さらに、メディアとの対立が深まり選手選考への批判を浴びたことで反省し、PSGではスター選手との軋轢を抑え、若手とベテランのバランスを重視。アクラフ・ハキミやドゥエを褒めて伸ばし、チーム全体の結束力を高めた。2月にPSGのナセル・アル・ケライフィ会長は、エンリケ監督を「世界最高の監督」と絶賛し、2029年まで契約を延長した。

カタールW杯の期間中、エンリケ監督はライブ配信プラットフォーム『Twitch』を通じてファンと交流したが、メディアとの対立がチームに悪影響を及ぼした。愛娘シャナさんの死も乗り越えた経験から、逆境での精神的な強さを学んだ。PSGではメディア対応を控えめにしつつも、チームビルディングに集中。CL決勝後、「我々がファーマーズ(農民)リーグだ!(1強の意味)」とプレミアリーグ4クラブを撃破した喜びをユーモアも交えて表現した。


カタールW杯でのスペイン代表の失敗から学んだことをPSGで実践し、欧州CLでは状況に応じた戦術変更、迅速な修正力、PK戦への準備、チームの結束力強化を通じて悲願の初優勝を達成したエンリケ監督。W杯での「パニックの5分間」やポゼッションの限界を克服し、進化した指導者像を示した。

エンリケ監督の成功は、失敗から学び適応する能力の証明である。ジョゼップ・グアルディオラ監督(現マンチェスター・シティ)に次ぐ「異なるクラブでの3冠」の達成という歴史的偉業に繋がったのだ。

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名前:寺島武志

趣味:サッカー観戦(Jリーグ、欧州5大リーグ、欧州CL・EL)、映画鑑賞、ドラマ考察、野球観戦(巨人ファン、高校野球、東京六大学野球)、サッカー観戦を伴う旅行、スポーツバー巡り、競馬
好きなチーム:Jリーグでは清水エスパルス、福島ユナイテッドFC、欧州では「銀河系軍団(ロス・ガラクティコス)」と呼ばれた2000-06頃のレアルマドリード、当時37歳のカルロ・アンチェロッティを新監督に迎え、エンリコ・キエーザ、エルナン・クレスポ、リリアン・テュラム、ジャンフランコ・ゾラ、ファビオ・カンナヴァーロ、ジャンルイジ・ブッフォンらを擁した1996-97のパルマ

新卒で、UFO・宇宙人・ネッシー・カッパが1面を飾る某スポーツ新聞社に入社し、約24年在籍。その間、池袋コミュニティ・カレッジ主催の「後藤健生のサッカーライター養成講座」を受講。独立後は、映画・ドラマのレビューサイトなど、数社で執筆。
1993年のクラブ創設時からの清水エスパルスサポーター。1995年2月、サンプドリアvsユベントスを生観戦し、欧州サッカーにもハマる。以降、毎年渡欧し、訪れたスタジアムは50以上。ワールドカップは1998年フランス大会、2002年日韓大会、2018年ロシア大会、2022年カタール大会を現地観戦。2018年、2022年は日本代表のラウンド16敗退を見届け、未だ日本代表がワールドカップで勝った試合をこの目で見たこと無し。
“サッカーは究極のエンタメ”を信条に、清濁併せ吞む気概も持ちつつ、読者の皆様の関心に応える記事をお届けしていきたいと考えております。

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