CL/EL チャンピオンズリーグ

【欧州CL】下馬評を覆し旋風を巻き起こしたクラブ5選

ロビー・キーン 写真:Getty Images

リーズ・ユナイテッド(イングランド)2000/01CLベスト4

日本代表MF田中碧が加入したことで日本でもおなじみとなったリーズ・ユナイテッド。現在、イングランド2部のEFLチャンピオンシップで優勝争いを繰り広げており、2022/23シーズン以来のプレミアリーグ復帰も現実味を帯びてきている。

そんなリーズはプレミアリーグでは優勝経験もなく、プレミアリーグ創設前のイングランドリーグでは優勝3回を誇るものの、欧州での実績は乏しかった。しかし、1971/72シーズンのFAカップを制し、欧州カップ戦でも、1970/71シーズンをもって消滅したフェアーズカップ最後の優勝クラブとなった。1990年代にはプレミアリーグでも上位争いの常連に。1997/98から2001/02まで5シーズン連続で1桁順位となる。

CL2度目の出場となった2000/01シーズンは、デビッド・オレアリー監督の下、元アイルランド代表FWロビー・キーン、元オーストラリア代表FWハリー・キューウェル、元イングランド代表FWアラン・スミスといった強力な攻撃陣に加え、元フランス代表MFオリヴィエ・ダクール、元イングランド代表MFリー・ボウヤー、元イングランド代表DFリオ・ファーディナンドといった若手とベテランの融合で、レアル・マドリードやラツィオと同居したグループリーグを2位通過すると、準々決勝ではデポルティーボを破り4強進出。準決勝でバレンシアに敗れた(2戦合計0-3)が、同大会の台風の目となった。

しかしその後、大型補強がたたって財政難に陥ったリーズは、2007年には約84億円の負債を抱えて破産。これに伴いEFLリーグ1(3部)へ降格する。クラブは何度も買収や売却を繰り返すも財政難は変わらず、これが解消されたのは、スポーツメディアグループ「イレブン・スポーツ」の創業者でイタリア人実業家のアンドレア・ラドリッツァーニ氏がオーナーに就任してからのことだ。

ラドリッツァーニ氏は2018/19シーズンを前に、“エル・ロコ(変人)”と呼ばれる稀代の戦術家でもあるアルゼンチン人監督マルセロ・ビエルサ氏(現ウルグアイ代表監督)を招聘。就任2年目の2019/20シーズンに2部優勝とプレミアリーグ昇格を成し遂げ、古豪復活を印象付けた。

2022/23シーズン、19位で再降格の憂き目に遭うが、以前のような身の丈に合わない大型補強とは無縁の堅実経営に徹した。前述の田中碧や、2018/19シーズンに所属した元日本代表MF井手口陽介(現ヴィッセル神戸)の獲得は、その延長線上によるものだ。

仮にプレミア昇格を果たしたとしても、欧州カップ戦出場権を得るまでには相当長い道のりが待っているだろう。しかし、ド派手な黄色のユニフォームを着用し、攻撃サッカーを繰り広げる黄金期のリーズに魅せられた日本のプレミアリーグファンは多い。今季“超”の付く古豪のノッティンガム・フォレストが欧州カップ戦出場権争いを繰り広げていることから、再びリーズが欧州の舞台に戻ってくる日もそう遠くないのではないのか。日本のファンは首を長くして待っている。


ディエゴ・フォルラン 写真:Getty Images

ビジャレアル(スペイン)2005/06CLベスト4

人口約5万人の街をホームとする典型的地方クラブだったビジャレアルを一躍有名にしたのが、4強に進出した2005/06シーズンのCLだろう。グループリーグを1位で突破すると、決勝Tラウンド16でレンジャーズを、準々決勝でインテルを破り、街は燃えに燃えた。

当時の監督はチリ人指揮官のマヌエル・ペレグリーニ氏。この大躍進で翌シーズンにはレアル・マドリードに引き抜かれた。セレッソ大阪(2014-15)でも活躍し、現在はプロテニス選手に転向した元ウルグアイ代表FWディエゴ・フォルランと元スペイン代表FWホセ・マリの両エースと、トップ下には元アルゼンチン代表MFフアン・ロマン・リケルメを配し、その両脇を元スペイン代表MFマルコス・セナと元アルゼンチン代表MFフアン・パブロ・ソリンが固め、中盤の底には元イタリア代表MFアレッシオ・タッキナルディを置く攻撃サッカーを披露し、快進撃を演じた。

準決勝でアーセナルに2戦合計0-1で敗れ、CL決勝進出はならなかったビジャレアル。しかし、毎シーズン欧州カップ戦に出場し続け、今季もCL出場権を得られるチャンスが残されていることで、再び旋風を巻き起こす可能性もあるだろう。以前と異なるとすれば、既に欧州カップ戦の常連となっていることで、上位進出したとしてももはやサプライズではないといった点だろうか。


ジョゼ・モウリーニョ監督 写真:Getty Images

ポルト(ポルトガル)2003/04CL優勝

この2003/04シーズンのCLは、優勝したポルトというクラブよりも、後に世界的名将となるジョゼ・モウリーニョ氏(現フェネルバフチェ監督)を有名にした大会といっても過言ではないだろう。

下馬評では“アウトサイダー”という評価だったが、グループリーグを2位突破すると、決勝Tラウンド16ではマンチェスター・ユナイテッドを、準々決勝でオリンピック・リヨンを撃破。準決勝のチェルシー戦では2戦合計5–3という壮絶な撃ち合いを制し、その勢いで決勝でモナコを3-0で完勝して優勝している。

ポルトとしては1986/87シーズン以来の快挙であり、世界中を驚かせた。このシーズン以降、欧州5大リーグ以外からCL優勝クラブが出ていないという事実が、いかに大仕事だったかを物語っている。

モウリーニョ氏は元々、ボビー・ロブソン氏(2009年死去)が1992年にスポルティングCP監督に就任した際の通訳としてスタッフ入りし、翌1993年にはアシスタントコーチに昇進。ロブソン氏とともにポルト、バルセロナで通訳やアシスタントコーチを務め、ロブソン氏がバルセロナを去った後も、次期監督のルイ・ファン・ハール氏のアシスタントコーチを任された。当時のバルセロナには、後に不俱戴天の仇となるジョゼップ・グアルディオラ氏(現マンチェスター・シティ監督)も所属していた。

モウリーニョ氏の監督デビューは2000/01シーズン、いきなりポルトガルの強豪ベンフィカだった。しかしクラブ内のゴタゴタに嫌気を差し辞任。2001/02シーズン、ウニオン・レイリアの監督を経て、2002年1月、またも名門のポルトからオファーを受ける。当時不調に喘いでいたチームを立て直し、3位フィニッシュさせると、「来年はチャンピオンにしてみせる」とビッグマウスを炸裂させた。その言葉はメディアの冷笑を買ったが、翌2002/03シーズンには国内リーグ、国内カップ、UEFAカップの3冠を達成し、批判的なメディアを実力で黙らせた。

モウリーニョ氏のチームは【4-3-1-2】のフォーメーションを敷き、鋭いカウンターを武器としたが、ポゼッションを放棄したわけではなく、後にビッグクラブへと移籍していく元ポルトガル代表MFデコやセルジオ・コンセイソン、コスティーニャ、マニシェといったテクニックと運動量を併せ持った選手も多く揃っていた。

後にモウリーニョ監督のアシスタントとなり、チェルシー(2011-2012)、トッテナム・ホットスパー(2012-2013)、ゼニト(2014-2016)、上海上港(2016-2017)、マルセイユ(2019-2021)の監督を歴任したアンドレ・ヴィラス・ボアス氏(現FCポルト会長)も選手として在籍していた。

当時は監督も選手も有名なわけではなかったが、その後の活躍ぶりを見ると、この優勝がフロックではなかったと納得させられる。


これらのクラブはいずれも大会前の予想を裏切り、卓越した戦術やチームワークで上位進出を果たした。こうした事例は欧州CLの魅力でもある予測不能性を象徴しているといえるだろう。

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名前:寺島武志

趣味:サッカー観戦(Jリーグ、欧州5大リーグ、欧州CL・EL)、映画鑑賞、ドラマ考察、野球観戦(巨人ファン、高校野球、東京六大学野球)、サッカー観戦を伴う旅行、スポーツバー巡り、競馬
好きなチーム:Jリーグでは清水エスパルス、福島ユナイテッドFC、欧州では「銀河系軍団(ロス・ガラクティコス)」と呼ばれた2000-06頃のレアルマドリード、当時37歳のカルロ・アンチェロッティを新監督に迎え、エンリコ・キエーザ、エルナン・クレスポ、リリアン・テュラム、ジャンフランコ・ゾラ、ファビオ・カンナヴァーロ、ジャンルイジ・ブッフォンらを擁した1996-97のパルマ、現在のお気に入りはシャビ・アロンソ率いるバイヤー・レバークーゼン

新卒で、UFO・宇宙人・ネッシー・カッパが1面を飾る某スポーツ新聞社に入社し、約24年在籍。その間、池袋コミュニティ・カレッジ主催の「後藤健生のサッカーライター養成講座」を受講。独立後は、映画・ドラマのレビューサイトなど、数社で執筆。
1993年のクラブ創設時からの清水エスパルスサポーター。1995年2月、サンプドリアvsユベントスを生観戦し、欧州サッカーにもハマる。以降、毎年渡欧し、訪れたスタジアムは50以上。ワールドカップは1998年フランス大会、2002年日韓大会、2018年ロシア大会、2022年カタール大会を現地観戦。2018年、2022年は日本代表のラウンド16敗退を見届け、未だ日本代表がワールドカップで勝った試合をこの目で見たこと無し。
“サッカーは究極のエンタメ”を信条に、清濁併せ吞む気概も持ちつつ、読者の皆様の関心に応える記事をお届けしていきたいと考えております。

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