Jリーグ

Jリーグ入りを目指しながらも志半ばで力尽き解散したクラブ5選

レイジェンド滋賀(2025年VELAGO生駒にチーム移管)

ホームタウン:滋賀県守山市

現在JFLに属するレイラック滋賀(当時「佐川急便京都サッカー部」)と同じ、2005年に創設された「滋賀FC」が母体のレイジェンド滋賀。当時は滋賀県サッカー協会の後押しもあり、県民からの期待も大きかった。特例措置として、初年度から滋賀県社会人サッカー1部からスタートを切った事実からも伺える。

とんとん拍子で2009年には関西リーグ1部に昇格するが、1年で2部に降格。その後、東レ子会社の東洋実業がスポンサーとなり、FC TOJITSU SHIGAと合併。「TOJITSU滋賀FC」となり一旦Jリーグ入りを諦め企業クラブとして活動するが、2011年、公募によってクラブ名を「レイジェンド滋賀FC」に改称し、再びJリーグ入りを目指した。

しかし時を同じくして東洋実業がスポンサーから撤退してしまう。クラブはMIOびわこ滋賀(後のレイラック滋賀)との合併を模索するが交渉は不調に終わり、独自にJリーグ加盟を目指す方針を示したが、2023シーズンの関西リーグ2位を最高成績とし、翌2024シーズンを最後に奈良県生駒市をホームタウンとする「VELAGO生駒」にトップチームを移管した。現在は下部組織のみで、その名が残されている。


沖縄かりゆしFC(2010年解散)

ホームタウン:沖縄県那覇市

1999年、「かりゆしホテルズFC」として発足した沖縄かりゆしFC。元日本代表のレジェンド、ラモス瑠偉氏を選手兼テクニカルディレクター(TD)として招聘し順調にステップアップを続け、沖縄県社会人リーグに所属するサテライト組織「かりゆしサウシーシャ」やユースチームも備えた。天皇杯の常連でもあった。

2002年には九州リーグで優勝したが、全国地域サッカーチャンピオンズリーグ(地域CL)で敗退し、あと一歩のところでJFL入りは逃した。同年、ラモス氏を解任すると、所属選手22人中21人が退団してしまう。その選手たちが中心となって結成されたクラブが、現在、J3を戦うFC琉球だ。

クラブはその後、元日本代表DF加藤久氏がGM兼監督に就任。多数の新加入選手を迎え再スタートを切ると、九州リーグを連覇し、天皇杯1回戦ではJ2サガン鳥栖を破った。

しかしその最期はあまりにも呆気なかった。2004年、スポンサーのかりゆしホテルグループが撤退を表明すると、加藤監督以下、所属選手27人全員が退団。下部組織の選手113人全員も退団し、「ヴィクサーレ沖縄」を設立した。

スポンサーを失った沖縄かりゆしFCは、それでも奮闘を続け、2008、2009シーズンと九州リーグを連覇する。一方で、運営費のメドは立たず、給与遅配も起き、受け入れ先企業も見付からず、2010シーズンを前にクラブ解散が決定した。スポンサーを単一企業に頼るクラブの危うさを示す典型例となってしまった。


福島FC(1997年解散)

ホームタウン:福島県郡山市

1951年創部の「福島教員団」を母体とし、1982年に国体教員の部廃止に伴い「福島FC」に名称を変更。1993年にJリーグが創設されブームが巻き起こると、「福島県にもJクラブを!」という機運が高まり、本格的な強化策が取られるようになった。

1994シーズン、東北リーグで2位に入り、JFL入りを果たすと、1996年には元日本代表FWでU-20日本代表(1989-1991)やジェフユナイテッド市原(1992-1993)を指揮した永井良和氏を監督に招聘。元Jリーガーを積極的に獲得し、1996年の天皇杯3回戦では、福島県代表初のJクラブ相手からの勝利(対ジュビロ磐田/2-1)を手にした。

翌1997年、J2加盟を申請したが、その夏から選手・スタッフへの給与遅配が始まる。同クラブは一個人が財政支援を行っており、その資産及び親族から20億円の資金を借り入れてクラブ運営をしていたことが判明。さらに弁済の目処がつかずに破産させてしまった。

JFA(日本サッカー協会)がこの件を問題視したことを受け、クラブ代表がJFL事務局へ退会届けを提出、JFL評議委員会でも承認されてしまった。

これに反発したのが所属選手たち。白紙撤回を求める署名をスタートさせ、福島県サッカー協会にも新会社による運営を提案したが、選手たちの努力も空しく、JFA理事会で福島FCのJFL撤退とクラブ解散が正式決定する。

同年の天皇杯で3回戦にまで進出した福島FCは、12月14日、日本平スタジアムでの清水エスパルス戦で敗れ、その歴史に幕を閉じた。ちなみに尚志高校サッカー部監督として同校を全国区にまで押し上げた仲村浩二氏は同クラブOBで、引退直後に同高で指揮を執ることになる。福島FCの存在は確実に福島県のサッカー界に財産を残していたのだ。

この一件によって“サッカー空白県”となった福島県にJリーグの火が灯るのは、2002年に創設された福島ユナイテッドがJ3に昇格する2014年のこと。約17年も待たされることとなった。

ページ 2 / 2

名前:寺島武志

趣味:サッカー観戦(Jリーグ、欧州5大リーグ、欧州CL・EL)、映画鑑賞、ドラマ考察、野球観戦(巨人ファン、高校野球、東京六大学野球)、サッカー観戦を伴う旅行、スポーツバー巡り、競馬
好きなチーム:Jリーグでは清水エスパルス、福島ユナイテッドFC、欧州では「銀河系軍団(ロス・ガラクティコス)」と呼ばれた2000-06頃のレアルマドリード、当時37歳のカルロ・アンチェロッティを新監督に迎え、エンリコ・キエーザ、エルナン・クレスポ、リリアン・テュラム、ジャンフランコ・ゾラ、ファビオ・カンナヴァーロ、ジャンルイジ・ブッフォンらを擁した1996-97のパルマ、現在のお気に入りはシャビ・アロンソ率いるバイヤー・レバークーゼン

新卒で、UFO・宇宙人・ネッシー・カッパが1面を飾る某スポーツ新聞社に入社し、約24年在籍。その間、池袋コミュニティ・カレッジ主催の「後藤健生のサッカーライター養成講座」を受講。独立後は、映画・ドラマのレビューサイトなど、数社で執筆。
1993年のクラブ創設時からの清水エスパルスサポーター。1995年2月、サンプドリアvsユベントスを生観戦し、欧州サッカーにもハマる。以降、毎年渡欧し、訪れたスタジアムは50以上。ワールドカップは1998年フランス大会、2002年日韓大会、2018年ロシア大会、2022年カタール大会を現地観戦。2018年、2022年は日本代表のラウンド16敗退を見届け、未だ日本代表がワールドカップで勝った試合をこの目で見たこと無し。
“サッカーは究極のエンタメ”を信条に、清濁併せ吞む気概も持ちつつ、読者の皆様の関心に応える記事をお届けしていきたいと考えております。

筆者記事一覧