Jリーグ

ドジャース山本も!プロ野球選手と同級生だったサッカー選手3選

アマラオ 写真:Getty Images

小林雅英(元千葉ロッテマリーンズ)&アマラオ(元FC東京)

ブラジルの名門パルメイラスの控えFWだったアマラオ氏。1992年、レンタル元であるイトゥアーノFCの監督を務めていたジョゼ・テイシェイ氏がアドバイザーとして旧JFLの東京ガスサッカー部(後のFC東京)に加入したことに伴う形で来日し、レンタル移籍の形で入部した。

ヴェルディ川崎(1995-96)、名古屋グランパス(2003-2005)、そして柏レイソル監督時代(2009-2014)には、J2優勝(2010)、翌シーズンには即J1優勝(2011)を成し遂げ、日本代表監督にもリストアップされた。当時パルメイラスのネルシーニョ監督に慰留されながらも、自ら茨の道を進んだ。本人によると、日本でのプレーは1年と決め、パルメイラスに戻りブラジル代表を目指すつもりだったという。

当時の東京ガスサッカー部はJFL所属のアマチュアチームだけあって、劣悪な環境の下、ホームシックとも闘いながら1年間を過ごす。再びブラジルでプレーするために一旦は帰国したが、資金難に陥ったイトゥアーノからはレンタル期間の延長を求められ、自身も家族を支える必要があったため再来日。結局、湘南ベルマーレ(2004)を経て、2005シーズンJFLのFCホリコシ(2006年「アルテ高崎」に改称、現・高崎エヴォリスタFC)で引退するまで、長きにわたり日本サッカー界に貢献し続けた。

東京ガスサッカー部がFC東京となり、JFLからJ2、そしてJ1へと階段を上っていく過程にあって、チームメイトにプロとしての姿勢を叩き込み、自らも結果を残したことで付いたニックネームは「キング・オブ・トーキョー」。今でもFC東京のゴール裏にはアマラオ氏の顔のイラストが横断幕として張られているため、そのプレーは知らなくとも、顔は知っているという東京サポーターは多いはずだ。

片や、小林雅英氏(1999-2011プロ野球投手)は、山梨県立都留高校では1年からエースだったが甲子園とは縁がなく、高校野球の監督になるべく日本体育大学へ進学。首都大学リーグでは最優秀投手1回、ベストナイン2回を受賞し、3年秋の明治神宮大会や4年春の大学選手権で注目されたが、ドラフト指名されることなく東京ガスに就職する。「2年後に指名されなかったらすっぱりと野球を辞めて、社業に専念しよう」と退路を断っての入社だったという。

そして、1998年のドラフトで千葉ロッテマリーンズから1位指名を受けプロ入りを果たし、2007年までプレー。その間、ボビー・バレンタイン監督の下、2005年に日本一も経験し、自身も球界を代表するセットアッパーとして、2004年アテネ五輪にも出場した。

2008年にはFA権を行使し、MLBのクリーブランド・インディアンス(現ガーディアンズ)に移籍。1年目から57試合に登板し4勝5敗6セーブの成績を残したが、2年目には不振のためマイナーに降格、そして7月には解雇され、実質1年半のプレーにとどまった。

その後は、巨人(2010)を経て、オリックス (2011)で現役引退。その後は指導者としてオリックス、ロッテ、日本女子プロ野球リーグで投手コーチを歴任した。2021年からは社会人野球のエイジェック野球部投手総合コーチに就き、同チーム初の都市対抗野球出場に導いたが、この9月に退任が発表された。

この2人が同時期に東京ガスに在籍していたのは1997年から1998年の2年間だが、同じ社屋の同じフロアで働いていたようだ。本稿のテーマである「同級生」とは異なるが、後にそれぞれチームの顔となるスター選手の“下積み時代”の話だ。

当時、同フロアで働いていた同僚の女子社員によると「小林くんは真面目に仕事していたけど、アマラオは女の子にちょっかい出して、仕事のジャマばかりしていた」と笑いながら振り返る。アマラオ氏が“キング”となるはるか前の出来事だが、当時はブラジル代表を目指すバリバリのプロサッカー選手だ。まさか日本企業でオフィスワークに従事するとは思ってもみなかっただろう。

アマラオ氏は引退後、東日本大震災の影響で一度はブラジルに帰国したものの、日本への思いが強く2014年に再来日。以降、J2ザスパクサツ群馬(現ザスパ群馬)や、関東2部リーグのtonan前橋のコーチを歴任。2022年には、12年間を過ごしたFC東京のアンバサダーに就任し、Jクラブのアンバサダーに外国人が就く初の例となった。

また、Jリーグ非公式試合ながら(公式戦500試合出場を満たしていないため)2008年5月に開催された味の素スタジアムでの引退試合に1万5000人以上のサポーターを集めたことからも、彼がFC東京のレジェンドであることを証明している。

日本での生活も長く“サラリーマン経験”も役立ったことで日本語も流暢に使いこなす。加えて自身が日本生活に馴染めなかった頃にラモス瑠偉氏に世話になったことを受け、現在では来日したブラジル人選手のサポートも買って出るなど、アマラオ氏は日本サッカー界とブラジル人選手の架け橋となっている。

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名前:寺島武志

趣味:サッカー観戦(Jリーグ、欧州5大リーグ、欧州CL・EL)、映画鑑賞、ドラマ考察、野球観戦(巨人ファン、高校野球、東京六大学野球)、サッカー観戦を伴う旅行、スポーツバー巡り、競馬
好きなチーム:Jリーグでは清水エスパルス、福島ユナイテッドFC、欧州では「銀河系軍団(ロス・ガラクティコス)」と呼ばれた2000-06頃のレアルマドリード、当時37歳のカルロ・アンチェロッティを新監督に迎え、エンリコ・キエーザ、エルナン・クレスポ、リリアン・テュラム、ジャンフランコ・ゾラ、ファビオ・カンナヴァーロ、ジャンルイジ・ブッフォンらを擁した1996-97のパルマ、現在のお気に入りはシャビ・アロンソ率いるバイヤー・レバークーゼン

新卒で、UFO・宇宙人・ネッシー・カッパが1面を飾る某スポーツ新聞社に入社し、約24年在籍。その間、池袋コミュニティ・カレッジ主催の「後藤健生のサッカーライター養成講座」を受講。独立後は、映画・ドラマのレビューサイトなど、数社で執筆。
1993年のクラブ創設時からの清水エスパルスサポーター。1995年2月、サンプドリアvsユベントスを生観戦し、欧州サッカーにもハマる。以降、毎年渡欧し、訪れたスタジアムは50以上。ワールドカップは1998年フランス大会、2002年日韓大会、2018年ロシア大会、2022年カタール大会を現地観戦。2018年、2022年は日本代表のラウンド16敗退を見届け、未だ日本代表がワールドカップで勝った試合をこの目で見たこと無し。
“サッカーは究極のエンタメ”を信条に、清濁併せ吞む気概も持ちつつ、読者の皆様の関心に応える記事をお届けしていきたいと考えております。

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