Jリーグ アビスパ福岡

アビスパ福岡OB神山竜一と鈴木惇、独占インタビュー【後編】

マリヤン・プシュニク氏 写真:Getty Images

歓喜の2015年と失意の2016年

その後、鈴木は2013~2014シーズンに東京ヴェルディへ移籍。ちょうどその間、福岡は2008シーズン途中までチームを率いたリトバルスキー氏以来となる外国籍監督を招聘していた。スロベニア出身のマリヤン・プシュニク氏。順位は振るわなかったものの、超攻撃的なサッカーを展開し若手のMF金森健志らを積極的に起用した。

神山「ある意味、新鮮で面白かったですね。今は城後がFW、金森はサイドハーフをやっていますけれど、あの時は城後が右サイドバック、金森は左サイドバックをやっていた。そんな起用、なかなかないですよね。打ち合い合戦が好きで、取られたら取り返せみたいな感じ。攻撃の選手は楽しかったと思います。僕と古賀(正紘)さんはいつも『だいたい後ろに残ってるの俺とお前じゃない?』と嘆いてました(笑)。

監督が話す内容は凄いし、サッカーに対しては厳しくて要求も高かった。そこになかなか自分たち選手がついていけなかった部分があったと思います。自分たちGKはビルドアップのところを言われて、自分は得意じゃないので結構言われました。『相手が(プレッシャーに)来たらドリブルでつっかけて行って横パスすればいいんだよ』と言われ見本を見せてもらったんですけど、そのリスクは負えなかった。でもいろいろな経験ができたので、プシュニクのもとでやれたことはよかったなと思います」

鈴木が福岡へ戻った2015シーズン、チームは井原正巳氏(現・柏レイソル監督)を監督に招聘。選手時代「アジアの壁」と呼ばれた日本を代表するディフェンダーの監督就任に、サポーターは驚き期待は高まった。

鈴木「まず『テレビで見てた人だ』という印象でした。選手としての経験が凄くある人から何かを吸収したいという思いと、僕自身はヴェルディを満了になって福岡に拾ってもらったのでなんとしても試合に出て恩返ししたい、結果で応えないといけないという思いがありました。監督としては、優しかった。声を荒げて選手に要求することはあまりなくて、選手に任せる部分が多かった。戦術の好みとしてはマリヤン・プシュニクのような打ち合いじゃなくて、しっかり守って1点とって勝つという考えを持っていましたね」

前年までとは打って変わって手堅いサッカーで昇格争いに加わると、3位でJ1昇格プレーオフに進出。準決勝ではV・ファーレン長崎に勝利し、決勝ではセレッソ大阪に先制されながらも昇格を達成した。DF中村北斗の劇的同点弾で追い付いたこの決勝は、サポーターだけでなく2人にとっても思い出深い一戦だ。

鈴木「僕は怪我して上(スタンド)から観ていたんですが、(中村)北斗さんが決めた時は自分の目で観た映像として記憶に残っています。昇格が決まった瞬間、神さんと城後さんが最初に抱き合っていて。それを見て良かったという思いがこみ上げて、俺も泣いちゃいました。初めてサッカーで感動して泣いた試合です」

神山「その年自体が難しい状況のなか、惇や北斗、スエ(末吉隼也)といった1回アビスパを離れて戻ってきた選手が躍動してくれた。最後に北斗が決めた時は、自分のことのように嬉しかったです。(ベンチにいたため)試合に出てないのにあんなに喜ぶことはなかなかないんですけど、ちょっと泣いてました。自分のサッカー人生の中でも1番嬉しかったんじゃないかな。試合に出てないのにそれだけ嬉しかったってことは、よっぽどですね。本当に凄く良いシーズンでした」

翌2016シーズンは今度こそJ1残留をと意気込んで臨んだものの、開幕戦でダービーマッチに敗れるとそのまま低迷。4年かけて昇格して1年で降格する「5年周期」から逃れられず、最下位でJ2降格となった。

鈴木「本当につらかった。開幕戦からいきなりダービーで、(サガン)鳥栖に負けましたし。僕はその年試合に出られず(リーグ戦出場9試合)、翌年は大分(トリニータ)にレンタル移籍しました」


鈴木惇(アビスパ福岡所属時)写真:Getty Images

昇格目前だった2017年~共闘の終わり

福岡はそれまで成績不振に陥るたびに繰り返してきた監督交代を選択せず、翌2017シーズンも井原監督を続投。この策はある程度成功し、リーグ4位でJ1昇格プレーオフに進出した。準決勝を突破し決勝へと進んだが、3位の名古屋グランパスに勝ち切れず(0-0)昇格とはならなかった。

神山「(名古屋に)目の前で昇格を決められて、試合後は悔しいという思いしかなかった。でも、リーグの順位で名古屋を上回っておけばよかっただけの話。それができなかったから悔しい思いになりました。ただ、あの光景は2度と見たくないですね」

鈴木「翌2018年に(福岡に)戻って再び井原さんのもとでやるんですけど。(2016年に)試合に出られず1年間外に出て帰ってきた自分を、また1からスタートの台に載せてくれました。シーズン途中からはキャプテンに指名されて、コミュニケーションを取ることも増えました。今は分からないですけど、井原さんは自分からたくさん喋りかけるタイプではなかったので『こう思うんですけどどうですか』と自分からガンガン喋りにいってました。2016年は試合に使われず『なんだよ』と思った時もあったんですけど、2018年の最後には『この監督のために全部出したい』という気持ちでプレーできた。そういう意味ではリトバルスキーと同じぐらい、自分の中では大切な監督ですね」

結果的に7位で惜しくもプレーオフ進出を逃したこの年をもって神山は福岡を退団。2人の福岡でのストーリーは終わりを迎えた。

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名前椎葉 洋平
趣味:サッカー観戦、読書、音楽鑑賞
好きなチーム:アビスパ福岡、Jリーグ全般、日本のサッカークラブ全般

福岡の地から日本サッカー界を少しでも盛り上げられるよう、真摯に精一杯頑張ります。

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