Jリーグ V・ファーレン長崎

長崎総合科学大付・小嶺忠敏監督の死去にJ2長崎が声明「ご冥福をお祈りいたします」

V・ファーレン長崎のゴール裏 写真提供: Gettyimages

 第100回全国高校サッカー選手権出場校の長崎総合科学大学付属高校を率いていた小嶺忠敏さんが、7日に亡くなった。これを受けて、明治安田生命J2リーグのV・ファーレン長崎が声明を発表している。

 長崎県南島原市出身の小嶺忠敏さんは、1968年に島原商業高校サッカー部監督に就任すると、1973年大会から11年つづけてチームを高校サッカー全国大会出場へ導く。そして1984年に国見高校へ移ると、戦後最多となる6度の高校サッカー選手権優勝という快挙を成し遂げていた。

 そんな小嶺忠敏さんは、2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙では、長崎県選挙区から自民党公認で出馬も落選。V・ファーレン長崎の代表取締役社長を務めた後は、長崎総合科学大学付属高校サッカー部監督として活動。今大会の全国高校サッカー選手権出場を決めていたが、昨年12月から体調が悪化したことにより、ベンチ入りしていなかった。

 小嶺忠敏さんが76歳で逝去したことをうけて、V・ファーレン長崎はクラブ公式ツイッターアカウントで声明を発表。「長崎県のサッカー界及びV・ファーレン長崎 発展に尽力された、現長崎総合科学大学附属高等学校サッカー部小嶺忠敏監督がご逝去されました。 V・ファーレン長崎では2006年より約5年間代表取締役社長を務められました。クラブ一同、心より小嶺監督のご冥福をお祈りいたします」と哀悼の意を表している。