イタリアサッカーの頂点であるセリエA。世界の多くの選手の目標であり、たどり着くのは簡単なことではない。しかし、より難しいのは同じリーグで長いスパンで戦い続けることだろう。
短期間でいい活躍を見せても、ほとんどのプレイヤーはイタリアのサッカー史に残る存在になれないのだ。
今回はセリエAのビッグクラブでプレーしてから格下のリーグに脱落したサッカー選手5選をまとめよう。
ビアビアニー
インテルのユースで育ち、同クラブでプロデビューをしたMFのジョナタン・ビアビアニーはセリエAの期待の星の1人として評価されていた。信じられないスピードの持ち主であり、ウイングまたはトップ下のような攻撃的なポジションを主戦場としている上に、守備力にも恵まれていた。
彼はイタリアの複数のクラブに渡りプレーしたが、最も輝いたのはパルマ時代だろう。同クラブでの2度のプレー(2009-2010、2011-2015)では160試合に出場し、21得点を挙げた他に、すざましい運動量で守備と攻撃の両方の要となった。
残念なことに2014年9月に心臓の不整脈でしばらくピッチを離れることとなり、復帰してからのパフォーマンスは以前に及ばなかった。
2015年7月にインテルに再び戻ったが出場機会があまり与えられず、チェコのスパルタ・プラハとセリエBのトラーパニに渡ることとなった。そして先日(2020年8月13日)スペイン3部に所属するサン・フェルナンドに移籍することが決定した。
イトゥルベ
元パラグアイ代表FWフアン・イトゥルベは不思議な選手である。2013年から2014年にかけてエラス・べローナに所属し、元イタリア代表のスーパーストライカー、ルカ・トーニの相棒として信じられないほどの素晴らしい活躍を見せた。
しかし、その後の彼は別人のようなレベルの低いパフォーマンスが未だに続いている。
2014年7月にはローマへと移籍し、自分のサッカーができなかったことによって複数のクラブにレンタルすることとなる。そして、2017年からイトゥルベはメキシコで自分の輝きを取り戻そうとしているが、なかなかうまくいかないのが現実だ。
ティフアナ(2017-2018)、UNAM(2018-2020)、そしてパチューカ(2020)という3チームに所属し、合わせて6得点しか記録していない。
クラシッチ
2004年から2010年にかけてロシアのCSKAモスクワに所属し、同クラブのレジェンドとなったMFのミロシュ・クラシッチは2010年の夏にユベントスへの移籍を決める。
2010/11シーズン前半はクラシッチを止められるDFがいなかった。すざましいスピードとテクニックを目の当たりにしたサポーターは彼にパベル・ネドベド(ユベントスのレジェンドMFで、現在同クラブの副会長)の後継者をみた。
しかし、同シーズンの後半から嘘のような低いレベルのパフォーマンスを見せることとなる。ライバルチームはクラシッチをよほど研究しただろうが、彼のフェイントに引っかかるDFが少なくなり、自由にプレーすることができなくなった。
イタリアで自分のサッカーが通じなくなったクラシッチは2012年トルコのフェネルバフチェに移籍した。そして現在はポーランドリーグ一部のレヒア・グダニスクに所属し、安定したプレーを見せているようだ。
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