ユベントスは今夏の移籍市場における、最も重要なターゲットを定めた。バルセロナの23歳、ブラジル代表MFアルトゥールだ。
彼がビアンコネーリ(ユベントスの愛称)に移籍することによって、今まで中盤の要であったミラレム・ピャニッチはクラブを離れることになるかもしれない。しかし、アルトゥールは縦のプレーへのビジョンが一流で、サッリ監督の4-3-3の中で重要な存在になれる可能性が高いと言われている。
この取引がうまくいくかどうかを考えるのはまだ時期尚早かもしれない。ただ、その期待が高まっているのは事実だ。そこで今回は、これまでにバルセロナとユベントスの間で実現した大物選手たちの移籍をご紹介する。
ダービッツ
ユベントスの歴史を描いたMF、エドガー・ダービッツ。1997年から2004年までビアンコネーリでプレーし、ユベントススタジアム設立の際に行われたアンケート調査では、「サポーターの印象に強く残った10選手」の1人に選ばれていた。
彼はユベントスでプレーした7年間でセリエAを3回優勝している。1998年と2003年にはチャンピオンズリーグの決勝までたどり着いたが、優勝を勝ち取ることはできなかった。レアル・マドリード、そして同じイタリアのチームであるミランに勝つことができなかった。
ダービッツは2003/2004シーズンの冬の移籍市場で多くの怪我を理由にマルチェロ・リッピ監督の指示でマーケットに出され、バルセロナにレンタル移籍を果たした。
ダービッツはスペインのサッカーにすぐにフィットし、シーズン終了後に、バルセロナは彼を完全移籍させたがった。しかし、ダービッツはインテルへの移籍を選択。在籍期間は6ヶ月と短い時間だったが、ダービッツは現在でもバルセロナのサポーターに愛されているという。
ザンブロッタ
当時ウィンガーとしてプレーしていたジャンルカ・ザンブロッタ。1999年にユベントスに移籍し、リッピ監督の元で左サイドバックとして使われるようになった。そしてこのポジションで、彼はサッカー界で認められる一流選手となったのだ。
2003年にバロンドールの候補選手にも選ばれたザンブロッタ。ただ、栄光に輝いたのはチームメイトのパベル・ネドベドだった。また、2006年にイタリア代表選手として大活躍を見せ、ワールドカップを優勝している。
世界一のタイトルをとってから彼はバルセロナに移籍したが、ブラウグラナでは期待に応えられなかったのだ。当時監督だったフランク・ライカールトが彼を右サイドで使っていたことも原因の1つと言われている。
テュラム
パルマで大活躍を見せ、リリアン・テュラムはユベントスに移籍した。この流れは一見普通に見えるが、実はそうじゃない。
まず、テュラムは当時すでに29歳だった。若い選手を獲得し、育てるのがポリシーのビアンコネーリが30近い選手を獲得するのは珍しいケースだ。その上、彼の移籍金は4150万ユーロ(約57億6000万円)で、当時ユベントスにおける最高額の選手となった。
2006年にザンブロッタとともにバルセロナへ移籍し良い活躍を見せていたテュラム。ただ、継続的にプレーすることができなかった。当時のブラウグラナにはカルレス・プジョルとラファエル・マルケスが所属していて、ライカールト監督はその2選手を好んで起用していた。
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