
新型コロナウイルスの脅威が世界中に広まる中、イタリアでも深刻な感染拡大が確認されており、イタリア政府は次々に厳しい判断を下している。
感染者が多い街の出入りは封鎖され、複数の州の学校が休校に。そしてセリエAにも影響が現れた。2019/2020シーズン第25節のインテル対サンプドリア、アタランタ対サッスオーロ、ベローナ対カリアリがそれぞれ延期となり、第26節からも多くの試合の予定変更が予測されている。
天候以外の理由でセリエAが延期、または中止となったのはこれが初めてではない。今回はイタリアのサッカーを延期または中止に追い込んできた歴史的な出来事を紹介する。

第一次世界大戦と第二次世界大戦
最初にイタリアのサッカーが中止となったのは、第一次世界大戦が始まってからほぼ1年後の、1915年5月23日ことだった。当時リーグ優勝を手に入れそうだったジェノアは、その喜びを味わうことができなった。
翌日の5月24日にイタリアが正式に戦争に参加することとなり、複数のサッカー選手が軍人として出陣したためだった。イタリアのアスリートだけではなく、このスポーツが誕生したイングランドでも同じ状況であった。
第一次世界大戦は1918年11月に終わりを迎え、リーグが再び復活となったのは翌年の1919/20シーズンだ。さらに、第二次世界大戦時も同じことが繰り返され、1943/1944と1944/1945シーズンも中止となった。

暴力事件
1995年1月29日。サポーターの争いから生まれた殺人事件がきっかけで、セリエAは試合の延期を決めた。
ジェノア対ミランの対戦前の出来事だ。両チームのサポーターがスタジアムの外で争っていた。ロッソネーリ(ミランの愛称)のサポーター数人がナイフを持っていたことで、その喧嘩は大きな事件に変わってしまう。結果、ジェノアのサポーターであったヴィンチェンツォ・クラウディオ・スパニョーロ氏が死亡した。その時から両クラブサポーターの関係が非常に悪くなったと言われている。
その悲しい死が忘れられないように、2010年ジェノアのスタジアムにはスパニョーロ氏のことが書かれたプレートが貼られた。その式には当時ミランの副社長だったアドリアーノ・ガッリアーニ氏も参加し、事件を起こしたミランのサポーターのことを深く謝罪した。

サッカー選手のストライキ
1995/1996セリエAシーズン、第26節が行われる予定だった1996年3月。AIC(イタリアサッカー選手協会)が開催したストライキによって、予定されていた試合が全て延期となった。
イタリアの政府は、クラブが倒産した時などに選手に与えられる保証金に対する法則を変更することを検討していた。しかし、新しい条件に納得がいかなかった選手らはピッチに現れないと発表し、試合のスケジュールは突然変更となった。
そういったストライキ問題は多数あったが、試合の予定変更に関わったのはこのケースが初めてである。
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