最も輝いたパレルモ時代
ユーベではスタメン機会をもう得られないと思ったミッコリは、元日本代表の中田英寿と同じタイミングでセリエBから昇格したばかりのフィオレンティーナに移籍し、2004/05シーズンには35試合中で12得点を記録した。
その後の2シーズンはミッコリにとって初の海外経験となる。2005/06シーズンからはポルトガルのベンフィカにレンタル移籍し、2005/06のCLではマンチェスター・ユナイテッドやリバプールを敗るジャイアントキリング(番狂わせ)に貢献した。
海外から戻ったミッコリはパレルモに完全移籍し、ここで7シーズンを過ごした。個人的にはミッコリが一番輝いた時期がパレルモ時代だと思います。印象に強く残っているのは彼のハットトリック。ミッコリはいまだにパレルモ史上最も多くハットトリックを達成した選手です。
セリエAのサポーターはその後も活躍を期待しただろうが、ミッコリがパレルモで最後の年となった2013年、彼が秘密にしていたマフィアとの関係が発覚した。
マフィアとの関係がキャリアを台無しに…
事件を説明する前に、ジョヴァンニ・ファルコーネ氏という人物を紹介する必要があります。ファルコーネ氏はマフィア撲滅運動に命を捧げたイタリアの裁判官です。彼は盟友の治安判事パオロ・ボルセリーノ氏と相前後して共にマフィアの手で暗殺されている。
2013年、ある事件の調査をしていたイタリア警察が、ミッコリとマフィア一族のボスの息子との会話を電話で盗聴した。その会話の中でミッコリが「Fango(クソッたれ)」という言葉を使い、ファルコーネ氏のことを侮辱したことが明らかになったのだ。これが公になると「パレルモの英雄」と囃し立てられていたスター選手の価値は一気に崩れた。もちろんパレルモとの契約更新の話もなくなり、セリエAで彼を求めるチームがいなくなった。
ミッコリはなんとか地元のセリエC(イタリア3部リーグ)のレッチェに移籍ができたが、それはサッカー選手として最後のイタリアでの1年となった。その後は、マルタ島のあまり知られていないサッカーチーム(ビルキルカラ)に移籍し、2015年に引退した。
しかし、マフィアに絡んだ事件の話はここからだ。
ミッコリは引退後、2017年10月に恐喝の容疑で裁判所から3年6カ月の禁固刑を言い渡された。マフィアのメンバーである友人にディスコ運営資金の回収を指示したが、その友人が暴力的な手法で資金を回収したという。当時は涙ながらに無罪を主張した様子も報じられたが、今月、2020年1月にその判決が確定した。
愛されていた選手の裏にイタリアが無くそうとしているマフィアとの関係が隠れていたことは、誰にも想像がつかなかっただろう…。マフィアを完全に無くすためのイタリア政府の努力は続いていますが、まだまだ時間がかかりそうな話です。
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