
ロシアーワールドカップにも出場したオーストラリア代表FWティム・ケーヒルが17日、代表引退を発表した。日本代表と通算8試合もの死闘を繰り広げてきたケーヒル。彼の活躍に敬意を表し、今回はティム・ケーヒルが歩んだキャリアをご紹介しよう。

ミルウォール
1997年に母国シドニー・ユナイテッドの下部組織からイングランドのミルウォールへ移籍。エースとして活躍し、2003/2004年シーズンにはチームをFAカップ決勝導いた。7シーズン在籍し、241試合出場58ゴールを記録している。

エバートン
2004/2005シーズンにミルウォールからエバートンへステップアップを果たす。1年目からチーム最多の13得点を上げ、4位躍進の立役者となる。以降、8シーズンに渡りチームの看板選手として活躍。リーグ戦226試合出場56ゴール、通算271試合66ゴールとハイペースで得点を量産した。

ニューヨーク・レッドブルズ
2012年にMLS(メジャーリーグサッカー)のニューヨーク・レッドブルズへ加入。2013年シーズンには29試合で12ゴールを記録。リーグMVP、ベストイレブン、オールスターにも選出されるなどアメリカサッカーの発展に大きく寄与している。

上海緑地
2015年に中国・スーパーリーグの上海緑地へ移籍。FWデンバ・バ、MFモハメド・シソコらと共にプレーし、リーグ戦28試合出場11ゴールと中国でも結果を残した。

杭州緑城
2016年に6カ月間の契約で杭州緑城に加入。リーグ戦17試合で4ゴールを決めていたが、「家族と過ごす時間を優先させたい」という理由で早期退団を希望。契約満了せずに退団が決定した。

メルボルン・シティ
杭州緑城退団後に母国オーストラリアのメルボルン・シティに加入したケーヒル。加入初年度の2016/2017シーズンこそ20試合出場11ゴールを記録したが、翌シーズンは出場機会を失い、昨年12月にクラブと契約解除に至った。

ミルウォール
ワールドカップを見据えたケーヒルが選んだ新天地はプロデビューを飾った古巣ミルウォールであった。コンディションを回復したケーヒルはロシアワールドカップ本大会のメンバーに招集され、4大会連続出場を達成している。

1.日本代表との因縁
まずは日本代表との激闘について触れないわけにはいかないだろう。ケーヒルと日本代表の因縁は2006年ドイツワールドカップのグループリーグ初戦から始まった。0-1のビハインドで後半53分から途中出場すると、84分に同点ゴール、89分に逆転ゴールを奪取。わずか5分の間に逆転し、母国に勝利をもたらした。

2.日本代表との因縁
衝撃的な敗戦を喫した2006年ドイツワールドカップ以降、オーストラリアはアジア予選に参戦。天敵ケーヒルはアジア予選でも日本代表の前に立ちはだかった。
2009年6月17日に行われたオーストラリアホームの南アフリカ大会・アジア最終予選。田中マルクス闘莉王のゴールでリードを奪った日本だったが、後半59分と後半77分にまたしてもケーヒルがゴールを奪い、日本は逆転負け。アジア最終予選の最終節でまたしても苦汁を嘗めることになった。

3.日本代表との因縁
2014年のキリンチャレンジカップでオーストラリア代表と対戦した日本代表。今野泰幸と岡崎慎司のゴールで2点リードに成功。しかし、後半アディショナルタイムにケーヒルが追撃の1得点。反撃を交わした日本代表がそのまま勝利を収めたが、ケーヒルの「日本キラー」ぶりが発揮された試合であった。
(日本代表戦 通算8試合出場で5得点)

オーストラリア代表最多通算50得点
昨年行われたロシアワールドカップアジア予選プレーオフ第2戦でオーストラリアはシリアと対戦。ケーヒルは前半13分に同点ゴールを奪取。1-1で迎えた延長109分、ケーヒルがこの日2点目となる代表通算50得点目を記録。母国を大陸間プレーオフ進出に導いた。
代表通算107試合出場、同国史上最多の50得点を記録。今月17日に代表引退を発表した。
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