ワールドカップ

W杯で活躍も…期待通りの成長曲線を描けなかった選手たち

世界最高峰の舞台であるFIFAワールドカップ。今大会もロシア代表のアレクサンドル・ゴロビンやメキシコ代表のイルビング・ロサノなど若手選手がブレイクを果たした。しかし、何大会にも渡って活躍するのは容易ではない。今回はW杯で活躍して大きな期待を寄せられるも、周囲から望まれていた成長曲線を描けなかった選手たちをご紹介したい。

ジョゼ・クレベルソン

ブラジル代表
日韓W杯→マンチェスター・ユナイテッド

2001年にアトレチコ・パラナエンセでブラジル全国選手権を制覇し注目を集める。2002年4月にブラジル代表デビューを飾ると、同年6月の日韓W杯に招集。開幕当初は控えであったが、準々決勝から先発の座を勝ち取ると、準決勝、決勝でも活躍し、ブラジルをW杯優勝に導いた。

W杯での活躍から評価を高めた当時23歳のジョゼ・クレベルソンは、2003年にマンチェスター・ユナイテッドへ移籍。しかし、負傷の影響もあり2年間でわずか20試合の出場に留まる。2005年にベジクタシュへ活躍の場を移すも、給料未払いで2007年に退団。以降はブラジル国内のクラブに在籍し、引退間際にアメリカでプレーした。2010年W杯にも出場しているが、期待されていた通りの成長曲線を描けたとは言えないだろう。

エル=ハッジ・ディウフ

セネガル代表
日韓W杯→リバプール

セネガル代表として2002年日韓W杯に出場したエル=ハッジ・ディウフ。グループステージ初戦のフランス戦で決勝点をアシストし、ジャイアントキリングの立役者に。第3戦のウルグアイ戦、決勝トーナメント1回戦のスウェーデン戦でもアシストを記録し、セネガル代表快進撃の演出した。

W杯で評価を高めたディウフはフランス1部ランスからリバプールへステップアップ。しかし、期待を大きく裏切るパフォーマンスに終始。リバプールのレジェンドMFスティーブン・ジェラードには「ディウフはサッカーに対して全く興味がなかった」、「リバプールに対しても何の共感もしていない」、「最も嫌いであったチームメイト」と自伝で酷評されている。

メンフィス・デパイ

オランダ代表

ブラジルW杯→マンチェスター・ユナイテッド

オランダ代表としてブラジルW杯に招集されたメンフィス・デパイ。グループステージ第2戦のオーストラリア戦に途中出場すると、ロビン・ファン・ペルシの同点ゴールをアシスト。後半68分にはペナルティエリアの外から決勝点をあげる大活躍を見せた。20歳4ヶ月で記録したこのゴールは、ワールドカップにおけるオランダ代表史上最年少得点記録を更新した。3戦目のチリ戦でも途中出場からゴールをあげるなどW杯でブレイクを果たした。

W杯の活躍を評価されマンチェスター・ユナイテッドに移籍するも、2シーズンで53試合7得点とワールドクラスになりきれず。2017年にオリンピック・リヨンへと移籍した。

ディボック・オリジ

ベルギー代表
ブラジルW杯→ボルフスブルク

ベルギー代表として1試合も出場していなかったが、2014年ブラジルW杯の本大会メンバー入りを果たしたディボック・オリジ。同年5月の親善試合でデビューを果たすと、グループステージ第2戦のロシア戦でも途中出場。試合終了間際に代表初得点となる決勝ゴールを挙げ、ベルギーの決勝トーナメント進出に貢献した。

大会後にフランス1部リールからリバプールへステップアップ(翌年は期限付きでリール残留)。しかし、移籍後は目立った活躍を見せられずに2017年ボルフスブルクに期限付き移籍した。

エルイェロ・エリア

オランダ代表
南アフリカW杯→ハンブルガー(ユベントス)

2009年9月の親善試合日本戦でオランダ代表デビュー。後半開始からアリエン・ロッベンと交代で出場すると、2アシストを記録する大活躍を見せた。2010年南アフリカW杯にメンバー入りすると、決勝までの7試合で6試合に途中出場した。

若手有望株として期待されていたが、2011年に移籍したユベントスで1シーズンで5試合のみの出場に留まり、キャリアを棒に振った。現在はトルコ1部のイスタンブール・バシャクシェヒルに所属している。