西野氏はJリーグ創設前の日立製作所で1990年まで現役時代を過ごすと、翌年から指導者としてのキャリアをスタートさせる。1994年にU23日本代表監督に就任すると、元日本代表GK川口能活やMF中田英寿らを擁して1996年のアトランタオリンピックに出場。戦術を巡って中田英寿やキャプテンを務めていた前園真聖らとの間で不協和音にあると騒がれることもあったが、ブラジルを1-0で下す快挙を成し遂げている(この一戦は“マイアミの奇跡”として現在でも語り継がれている)。
その後は、柏レイソルを4年間率いると2002年にガンバ大阪の指揮官に就任。安定した戦いで常に上位争いを演じ、2005年にクラブ初のJ1優勝をもたらすと2008年にはAFCチャンピオンズリーグを制覇するなど数多くのタイトルをもたらし、2011年までの長期政権を築いた。その後はヴィッセル神戸、名古屋グランパスの指揮官を経て2016年3月に日本サッカー協会技術委員長を務めていた。
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