セリエA ラツィオ

現代FWの先駆者ボクシッチ。自身の創造性を犠牲にして仲間を引き立てる天才

ラツィオ在籍時のアレン・ボクシッチ 写真提供:Getty Images

 ボクシッチのプレーには、謙遜と利他主義が必要だった。彼は引き立て役を買ってでたのだ。代表チームではダボール・シューケルを活かし、ユベントスではアレッサンドロ・デル・ピエロのサポート役を務めた。マンチェスター・ユナイテッドのファンとしては、1990年代後半のユベントスとの試合をよく覚えている。1-0の敗戦は、まるでムチで打たれたようなものだった。ボクシッチ有するユベントスは、効率的にユナイテッドを脅かしてきた。彼はバック4の後ろに潜み、決定的なゴールを決めると、そのあとの時間はトリノの霧の中に姿をくらませた。おそらく、ボクシッチは彼らの完璧な象徴だったと言っていい。必要な分以外のゴールは決めないが、彼がゴールを決めた時は、それが“違い”となる。

 時折彼は、ステージの脇から正面へと、まるで主役としてもプレーできることを思い出させるかのように、躍り出ることがあった。その典型的な例は1997/98シーズンのサンプドリア戦でのゴールだ。ゴールから40ヤード離れた地点から、相手ディフェンダーを一人抜き、また一人抜き、ペナルティエリアにさしかかる手前から、恐ろしく美しいループシュートを放ち、ゴールキーパーの頭上を越してゴールネットをゆらした。ゴールキーパーはボクシッチの方に目線をやり、拍手を送るほかなかった。

 プレーの一部は、ボクシッチのすべてを物語っていると思う。そしてそれはジェルソンを連想させる。彼は1970年のワールドカップのブラジル代表で司令塔を務めた選手だ。自身の創造性を犠牲にすることで、前線の選手の能力をより引き出した。ボクシッチが獲得したトロフィーのコレクションで彼を評価すれば、チーム全体の勝利を優先した選手であることが分かる。ここに至るまでに、彼は自身が真の意味で“フォワード”であることを証明した。彼のピッチ上での仕事は、戦術の上で進歩的であり、それは今日レロイ・サネやアントニー・マルシャルなどによって、容易に受け入れられている。

著者:ムサ・オクウォンガ

ドイツはベルリンに在住のサッカー・ジャーナリストであり、ライター・『ESPN』など、複数メディアに寄稿している。

Twitter:@Okwonga

ページ 2 / 2