ラ・リーガ レアル・マドリード

名門レアル・マドリード創立116年。偉大なるクラブ史を振り返る

1902年3月6日、マドリード・フットボール・クラブの第1回クラブ理事会が開かれた。その116年後、レアル・マドリードはチャンピオンズリーグとクラブワールドカップで最多の優勝回数を誇るチームとなり、世界最大級のクラブとして世界中にその名を轟かせている。今回はその偉大な歴史に敬意を表して、その長い歴史の一部をご紹介しよう。

基本情報
リーガ・エスパニョーラにおいて最多となる33回の優勝記録を持ち、バルセロナとアスレティック・ビルバオと共にリーグ創立以来、一度も2部降格を経験したことがないクラブである。
スペイン国内のみならず欧州でも結果を残し、UEFAチャンピオンズカップおよびUEFAチャンピオンズリーグにおいて歴代最多となる計12回の優勝。ビッグイヤー(UEFAチャンピオンズリーグ優勝トロフィー)の永久保持を認められた史上初のクラブとなった。さらにインターコンチネンタルカップおよびFIFAクラブワールドカップにおいても歴代最多となる優勝回数を誇り、名実共に世界最大のサッカークラブとして認知されている。

レアル・マドリードの誕生
マドリード・フットボール・クラブが誕生したのは1902年3月6日。3年後の1905年にクラブ史上初のタイトルであるコパ・デル・レイ優勝を獲得すると、以後4連覇を達成した。1920年、当時のスペイン国王アルフォンソ13世に首都マドリードに本拠地を構える”中央”の象徴として、「レアル」の称号を拝領したことでクラブ名がレアル・マドリードとなり、クラブのエンブレムにもブルボン家を象徴する王冠が加えられた。

サンティアゴ・ベルナベウ
1943年にサンティアゴ・ベルナベウ氏が会長に就任。この会長と共にクラブは黄金期を迎えることとなる。1953年には名選手アルフレッド・ディ・ステファノを獲得し、計19個ものタイトルを獲得。さらに、環境面の改善も推進し、スペイン内戦によって崩壊したチャマルティン・スタジアムに変わる新スタジアム(ヌエボ・チャマルティン)の建設を開始。1947年12月に8万人収容の新スタジアムが開場した。 1955年にサンティアゴ・ベルナベウ氏の功績を称え、スタジアムの名称が元会長の名へと改名された。

第2次黄金期
1960年代もアルフレッド・ディ・ステファノを筆頭にゾコ、サンチス、バスケス、アマンシオらの活躍により1960年からリーガ5連覇を達成。その後、クラブは育成組織を強化し、1980年代~1990年の 'Quinta del Buitre(キンタ・デル・ブイトレ)エミリオ・ブトラゲーニョ、ミチェル、マルティン・バスケス、ミゲル・パルデサ、マヌエル・サンチス・ オンティジュエロなどの活躍により第2期黄金時代を築いた。

銀河系軍団
1990年後半にフロレンティーノ・ペレス氏が会長に就任。公約通り、毎年世界的なスターを獲得(ルイス・フィーゴ、ジネディーヌ・ジダン、デビッド・ベッカム、クリスティアーノ・ロナウド)。世間からは銀河系軍団と謳われ、7度目の欧州制覇も達成した。2000年にはFIFAから20世紀最高のクラブとして正式に表彰され、アルフレド・ディ・ステファノ元会長とフロレンティーノ・ペレス会長が同賞を受賞している。

スペシャルワン
2010年代の最初の年はジョゼ・モウリーニョ監督によって3つのタイトルがもたらされた。特筆すべきは2011/12シーズンのリーグで、史上最高となる勝ち点100、得点121という記録を作りタイトルを獲得。またバルセロナを破り国王杯とスペインスーパーカップを勝ち取った。

イタリアの知将
2013年6月、イタリア人監督カルロ・アンチェロッティはマドリードに4つのタイトルをもたらした。最初のタイトルは19度目の国王杯。バルセロナとの決勝を制し手にした。2014年5月24日にはヨーロッパカップを再び獲得。欧州10冠を達成した。2シーズン目にはセビージャを下してのUEFAスーパーカップ、さらにクラブワールドカップという2つのタイトルを獲得している。

クラブの英雄が指揮官に
2015年6月にはラファエル・ベニテスがクラブに戻りチーム指揮を担当したが、成績を残せず退任。2016年1月に選手時代、伝説となったジネディーヌ・ジダンがトップチームの監督に就任した。初年度にアトレティコ・マドリード戦でウンデシマ(UEFAチャンピオンズリーグ10冠目)を達成した。ジダンの2シーズン目は勝利で満ち溢れていた。レアル・マドリードはドゥオデシマ(12度目のCL制覇)を達成し、チャンピオンズリーグ2連覇を成し遂げた初めてのチームとなった(チャンピオンズカップ時代は含まず)。