海外日本人選手

24歳で海外4ヶ国でプレー。エスパニョールで挑戦する“品田彩来”という生き方【INTERVIEW】

【INTERVIEW】“品田彩来”という生き方

著者:ショーン・キャロル
東京を拠点とする英国人ジャーナリスト。Jリーグとサッカー日本代表を2009年より報道している。日本の各新聞社および雑誌に多数寄稿しており、英国紙『FourFourTwo』を始めとした海外誌にも寄稿している。
Twitter: @seankyaroru

 日本人サッカー選手は通常、国内の評判を築いた後にはじめて海外でプレーするチャンスを得る。しかし時に、率先して自らの移籍を確保していく者がいる。

 品田彩来は、そんな選手だ。

 24歳の品田は最近、スペイン女子サッカー1部であるRCDエスパニョールに入団した。すでにアメリカ、フィンランド、スウェーデンで活躍してきた彼女のキャリアの中での最新の展開である。

 女子選手の標準的な状況と同じように、東京出身の品田は少年たちと一緒にプレーすることで最初のサッカーのステップを踏んだ。その後、日テレメニーナを経て岡山県作陽高校サッカー部に所属する。日本サッカーの制限的な側面や一般的な文化に不満を抱いていた彼女は、海外移住が最善の選択と卒業に際して決意した。2011年アメリカのチームを相手にプレーするツアーに参加すると、ケンタッキー州リンジー・ウィルソン・カレッジの監督の目にとまる。同監督は奨学金で彼女を採用した。

「みんなが試合中、はるかに広いスペースを維持してました」品田はアメリカでのプレーの最初の印象をこう話す。

「日本では、特に女子サッカーの場合、スペースをとても狭めて頻繁にショートパスを出します。誰も本当にロングパスをしません。そこがとても違いました。アメリカでは対応しなければならないスペースがありました」

「それから日本のサッカーでは、例えば守備をする時みんなで守ります。それが日本のやり方ですが、アメリカではもっと1対1のような状況が多いです。自分がやらなきゃならない、自分がそのプレーヤーを止めたり、自分が目の前のプレーヤーを回避したりする責任がある。それが大きな違いの1つでしょうか」

 このような異なる環境に飛び込むことは、多くの人にとって怖気づく展望かもしれないが、当時まだ18歳であった品田は新しい環境でうまく成長した。

「実際、私にはアメリカの方が合っていました。何が間違っているとか何が正しいとかを、はっきりさせることも好きですし」

「それもまた1つ、私が日本サッカーで合わなかったことでした。その人のせいではないのに、より”発言権”のある見ている人々が誰が間違っているかを決めたりすることがあります。同意できないこともたくさんありました。または説得されてもなお、私は違う風に見たと感じていたりしました。アメリカに行くと、何が私の仕事で役割でなど、すべてがとても明快でした。私にとっては完璧でした」

 しかし少し曖昧なのが品田のポジションである。プレーする場所について聞かれると、彼女は言葉を濁した。

「ちょっと難しい質問です。私はどこでもプレーしますから。ゴールキーパーはやりませんが。1度やりましたが、うまくできませんでした! 私のベストポジションは”アンカー”と言っておきましょう。センターバック前の守備的ミッドフィルダーです」

 アメリカのピッチ上で新しいプレースタイルや説明責任の明確なセンスを取り入れることと同様に、ディスカッションや交流においての多様性やオープンな文化もまた、品田の探究的な性格に合っていた。

「他の国から来た人たちが本当にたくさんいますから。世界では何が起こっているかということについて情報を共有したり、自分の国の良いと思うところや悪いと思うところについて話したりします。なので私も、日本の良いところや悪いところについて考えました」

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