
オランダ人のパトリック・ズワンズワイク氏は、かつて大分トリニータでプレー。Jリーグ挑戦、日本での生活を振り返ったほか、2005年夏に大分から移籍する際、フェイエノールトで日本代表OB小野伸二氏とチームメイトになる可能性があったことも明かしている。
大分での生活について、ズワンズワイク氏はオランダ紙『デ・テレグラーフ』のインタビューでこう語った。「デイビッド・ベッカムが長年経験してきたことを理解できた。日本では、まるで神のように崇められたんだ。最初の2か月は楽しいが、レストランで100人もの人が何時間もサインを待っていると、さすがに居心地が悪くなった。報酬も莫大で、すべてきちんと手取りで支払われていた。生活は良かった。ただ、妻は日本の環境に馴染めなかった」
「居心地が悪くなった」。有名人への熱狂を自ら体現しながらも、その重さに音を上げた率直な告白だ。
当時の大分はハン・ベルガー監督が指揮を執り、リチャード・ビチュヘが在籍。欧州出身の監督や選手がいる環境の中で、ズワンズワイク氏はプレーしたが、妻の適応困難が決定打となり欧州復帰を決断。当時、小野を擁していたフェイエノールトが強い関心を寄せ、合意に達したものの破談に終わったという。
理由はピッチ外での出来事だった。「すべては整っていたが、シーズン前に監督のベルト・ファン・マルワイクがボルシア・ドルトムントへ行った。その後任のルート・フリットは私を評価しなかった」。もしこの移籍が実現していれば、当時フェイエノールトに在籍していた小野伸二氏との共闘が生まれていた可能性もあった。
フェイエノールトだけではない。FCユトレヒト時代には、リバプール、アストン・ヴィラ、そしてニューカッスル・ユナイテッドも獲得に名乗りを上げた。「最も具体的だったのはニューカッスルだった。3度も視察に訪れ、かなりの額のオファーを提示してきた」。それでも移籍は叶わなかった。クラブが彼をディルク・カイトらとともに「非売品」に指定したからだ。
この判断への怒りは、20年近く経た今も消えていない。矛先は当時の代理人ピート・ビュテルにも向かう。「彼はやるべきことをやらなかった。言い方を変えれば、FCユトレヒトと親しすぎたんだ。その後、彼はクラブのテクニカルディレクターにもなった」。代理人がクラブ側の人間になる。利益相反の典型例をズワンズワイク氏は身をもって経験した。最終的にディルク・カイトと同じくロブ・ヤンセンに代理人を変えたが、失った機会は戻らない。
プレミアリーグという舞台を逃した選手が、Jリーグで「神扱い」に居心地の悪さを感じた。この逆説的な遍歴は、サッカー選手のプロキャリアを左右するのが実力だけではないという現実を、改めて突きつける。代理人の「親密すぎた関係」が一人の選手の人生を変えた事実は、今のフットボール界にも通じる構造的な問題を孕んでいる。
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