
1994年、もう一人の“日本人W杯選手”がいた
長田の国籍選択問題は、ある“悲劇”を思わせる。1994年アメリカW杯で日本は「ドーハの悲劇」により本大会出場を逃した。だが当時、日本人でありながらW杯に出場する可能性があった選手がいた。ヴェルディ川崎で活躍したDF石川康である。
石川は日本人の両親を持つがボリビア生まれ。名門「アカデミア・タウイチ・アギレラ」で育ち、1985年のU-16世界選手権でボリビア代表としてプレーした。その後、日本へ帰国し武南高校、本田技研を経てV川崎でプロ契約。本人はボリビア代表入りを目指していた。
しかし、1992年4月4日の日本代表対スパルタク・モスクワ戦(国際Cマッチ)にハンス・オフト監督の招集で出場。このわずか1試合が、当時のFIFA規定の曖昧さもあり、ボリビア代表入りを事実上不可能にしたのだ。さらに年代別代表歴の影響で、日本代表としてもA代表出場が難しくなるという“二重の封印”がかけられてしまった。
結果として石川は、日本代表にもボリビア代表にも選ばれないまま現役を終えた。本人は後年、「日本代表を断っていればW杯に出られたかもしれない」と悔恨を語っている。
この“31年前の悲劇”は、複数の代表資格を持つ選手を巡る交渉の難しさ、そして慎重さの重要性を如実に示している。

長田澪の代表選択:日本はどう向き合うべきか
JFA(日本サッカー協会)はすでに水面下で長田の意向を探っているともされる。一方、長田はドイツ誌『Bild』のインタビューで「日本代表に入る場合の長距離移動がデメリット」と率直に語っており、選択を急ぐ考えはない。
所属するブレーメンはブンデスリーガ優勝4回、DFBポカール優勝6回の名門。今シーズンも上位を争っており、ドイツ国内での評価は極めて高い。バルセロナが獲得を検討したとの報道もあり、将来のキャリアは大きく開かれている。
森保一監督がW杯直前のタイミングで初招集する可能性はほぼないだろう。だが2030年W杯に向けた新体制では、長田を“将来の守護神候補”としてリストアップするのは間違いない。そうなれば、日本とドイツの“獲得合戦”が起こる可能性は高い。
しかし、石川の例を踏まえるならば、最も重視すべきは長田本人のキャリアと意思だ。もし彼がドイツ代表を目指すと決断するなら、それを尊重し後押しするくらいの姿勢が必要だろう。逆に日本を選ぶなら、長田が自分の未来を確信できるだけの誠実な説明とサポートが欠かせない。
長田がどちらの道を進むにしても、二度と“悲劇”を繰り返さないために、関係者には細心の配慮と透明性が求められている。
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