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欧州移籍で失敗した日本人サッカー選手5選【現役選手編】

食野亮太郎 写真:Getty Images

食野亮太郎(ガンバ大阪)

移籍元:ガンバ大阪(2017-2019)
移籍先:マンチェスター・シティ(2019)、ハーツ(2019-2020)、リオ・アヴェ(2020-2021)、エストリル(2021-2022)

シティの「青田買い戦略」の犠牲に…

ジュニアユース(中学生年代)からガンバ大阪に所属し、ユース時代には高2で既にトップチームに合流し、高3にしてJ3リーグに参戦したガンバ大阪U-23の一員としてJリーグデビューしたFW食野亮太郎。その活躍ぶりが認められ、トップチームの試合にもベンチ入りを果たすと、ルヴァン杯で得点を記録するなど、次世代のG大阪を象徴する存在として頭角を現す。

しかし、その若き才能に目を付けたのは、2008年にUAEの投資会社アブダビ・ユナイテッド・グループ・フォー・ディベロップメント・アンド・インベストメントが2億5,000万ユーロ(約321億7,400万円)で買収し、マンチェスターの1地方クラブから同都市のメガクラブ、マンチェスター・ユナイテッドを凌ぐビッグクラブとなっていくマンチェスター・シティだった。

世界有数のスターを買い漁り、「モノになれば儲けもの」とばかりに芽が出そうな10代の若手を世界中から引き抜き、下部組織あるいは提携するクラブへのレンタル移籍で経験を積ませるその手法には、他クラブも眉をひそめ、FIFAからは「18歳未満の国外選手の獲得禁止」の規則に抵触するとして調査の対象にもなった。

これには、日本代表DF板倉滉も当てはまるが、板倉はレンタル先のフローニンゲン(2019/21)、シャルケ(2021/22)での活躍によって、現在の所属先であるボルシア・メンヒェングラートバッハ移籍の際にシティに500万ユーロ(約8億円)の移籍金を残した、稀ともいえる大成功例だ。

一方の食野は、いずれもポルトガル1部のリオ・アヴェ(2020/21)、エストリル・プライア(2021/22)にレンタルされるが、通算29試合4得点と期待外れに終わる。当然ながら、シティの戦力はおろか、“売り物”にすらなれずに帰国を余儀なくされる。

当初は東京五輪でメダル獲得を目指すU-24日本代表に加わっていたが、ポルトガルで目立った活躍が出来ず徐々に序列を落としていき、五輪出場メンバーから落選するという挫折を味わうことになる。

2022シーズン途中にG大阪に完全移籍で3年ぶりの古巣復帰した食野。しかし「浪速のメッシ」とも呼ばれた鋭いドリブルはすっかり影を潜め、今2024シーズンはJ1リーグ戦11試合出場で無得点に終わっている。

まだ26歳の食野だが、一部サポーターからは「早熟」や「もう終わった選手」という評価も下され始めている。早すぎた欧州移籍がキャリアを狂わせてしまった格好だが、同じく若くして欧州に移籍(バイエルン・ミュンヘン、ホッフェンハイム、アウクスブルク、デュッセルドルフ)し、挫折も味わった先輩、FW宇佐美貴史のように復活するのか、期待して待ちたい。


山口蛍 写真:Getty Images

山口蛍(V・ファーレン長崎)

移籍元:セレッソ大阪(2009-2015)
移籍先:ハノーファー(2016)

たった半年で帰国を余儀なくされた屈辱

今2024シーズン、ヴィッセル神戸の主力としてJ1リーグ連覇に貢献したにも関わらず、J2のV・ファーレン長崎への移籍を決断するという驚きのニュースを提供したMF山口蛍。

セレッソ大阪の下部組織出身で、2009シーズンにトップチームに昇格すると、徐々に出場時間を増やし、2012シーズンにはレギュラーポジションを獲得。2013年には日本代表に初選出される。2014シーズン、チームはJ1で17位に終わり、J2に降格。その中でもC大阪に残留したことで、サポーターからは“ワンクラブマン”になるものと期待されていた。

翌2015シーズンにJ1昇格を逃し、2シーズン連続でJ2を戦っていた2016シーズン途中、既にMF清武弘嗣(現セビージャ)やDF酒井宏樹(現オークランド)が所属していたブンデスリーガのハノーファーから完全移籍のオファ―が届き、移籍金100万ユーロ(約1億2,000万円)で欧州移籍を果たす。

しかし待っていたのは、そのポリバレントさによる“器用貧乏”的な起用法だった。ボランチが本職の山口に対し、トーマス・シャーフ監督が与えたポジションは右サイドハーフ。不慣れなタスクを強いられた上、前半33分で交代という屈辱的な扱いを受けることもあった。

代表戦でのケガの影響もあり、リーグ戦6試合出場に終わり、チームも最下位で2部に降格。家庭の事情もありC大阪への復帰を決意するが、買い戻しに使った移籍金は150万ユーロ(約1億8,000万円)だ。C大阪は主力選手のキャリアに傷を付けられた上に、わずか半年間の“短期留学”で6,000万円もの出費を余儀なくされ、得をしたのはハノーファーのフロントと代理人だけという結果に終わった。

その後、2019シーズンにヴィッセル神戸に電撃移籍した山口。その移籍金はJリーグ間の移籍では破格ともいえる約2億円だった。当時、若手にシフトしつつあったC大阪と、本気で優勝を目指しその目標を達成した神戸の双方においてメリットをもたらした移籍劇となった。


家長昭博 写真:Getty Images

家長昭博(川崎フロンターレ)

移籍元:ガンバ大阪(2004-2010)
移籍先:マジョルカ(2011-2013)

監督交代で一気に窓際に追いやられた不運

ガンバ大阪ジュニアユース時代、本田圭佑としのぎを削り合い、本田を押しのけてユースに昇格(ユース昇格を逃した本田は石川県星稜高校に進学)、高校3年時の2004シーズンにプロ契約を結んだクラブ希望の星だったMF家長昭博。

当時のG大阪は西野朗監督の下で着々と強化が進み、翌2005シーズンにJ1初優勝を果たす。攻撃陣には日本代表MF遠藤保仁(2024年引退)をはじめ、MF二川孝広(2022年引退)、MFフェルナンジーニョ(現アトレチコ・パラナエンセ)、FW大黒将志(2020年引退)、FWマグロン(2004年引退)といった面々が揃い、家長は出場機会を求めて、大分トリニータ(2008-09)セレッソ大阪(2010)へのレンタル移籍を繰り返すが、C大阪ではJ1復帰初年度にも関わらず3位の好成績を残す原動力となった。

そして2010年オフに、スペイン、ラ・リーガのマジョルカへ完全移籍を果たす。2015年までの4年半契約で、推定移籍金は移籍金400万ユーロ(約4億5,000万円)。しかし入団からしばらくは、EU外国籍選手枠の問題で選手登録されなかった。

しかし、元デンマーク代表MFのレジェンドでもあるミカエル・ラウドルップ監督は家長の実力を信じ、冬の移籍期間ギリギリの1月31日にブラジル人DFラティーニョを放出し、家長を選手登録。2月5日のアウェイ・オサスナ戦(1-1)で後半23分から途中出場、欧州デビューを果たし、2007年以来遠ざかっていた日本代表にも選出された。

ところが、翌2011/12シーズンに就任したホアキン・カパロス監督からは構想外扱いされ、出場期間が激減。前半戦の出場は4試合に留まる。家長は韓国Kリーグの蔚山現代や古巣のG大阪へのレンタル移籍を経て、2013-14シーズン約1年半ぶりにマジョルカに復帰し、リーグ戦7試合に出場した後に契約満了。大宮アルディージャに完全移籍し、J復帰を果たした。マジョルカでのリーグ戦成績は25試合出場2得点に終わった。

2017シーズンには川崎フロンターレに移籍してチームの黄金時代を築き、リーグ戦連覇した2018シーズンには、31歳にしてMVPにも輝いてキャリアの最高を迎える。38歳となった現在でも、不動の右ウイングとして欠かせない存在となっている。改めて振り返ると、欧州移籍が成功するかどうかは、実力に加え、タイミングと相性が重要なファクターであることを示している。

マジョルカには家長以外にもFW大久保嘉人(2021年引退)やFW久保建英(現レアル・ソシエダ)が過去に所属し、現在、日本代表FW浅野拓磨が活躍。日本人選手との繋がりが強いクラブだ。日本語版の公式Xアカウントを持ち、胸スポンサーも衝撃吸収素材「αGEL(アルファゲル)」の製造販売を手掛ける日本企業の株式会社タイカである。

一時期は欧州移籍を目指す日本人選手の一番人気だったラ・リーガだったが、今ではプレミアリーグに押されている印象がある。しかし、マジョルカのようなクラブがある限り、ラ・リーガから日本人選手がいなくなる心配は少ないだろう。

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名前:寺島武志

趣味:サッカー観戦(Jリーグ、欧州5大リーグ、欧州CL・EL)、映画鑑賞、ドラマ考察、野球観戦(巨人ファン、高校野球、東京六大学野球)、サッカー観戦を伴う旅行、スポーツバー巡り、競馬
好きなチーム:Jリーグでは清水エスパルス、福島ユナイテッドFC、欧州では「銀河系軍団(ロス・ガラクティコス)」と呼ばれた2000-06頃のレアルマドリード、当時37歳のカルロ・アンチェロッティを新監督に迎え、エンリコ・キエーザ、エルナン・クレスポ、リリアン・テュラム、ジャンフランコ・ゾラ、ファビオ・カンナヴァーロ、ジャンルイジ・ブッフォンらを擁した1996-97のパルマ、現在のお気に入りはシャビ・アロンソ率いるバイヤー・レバークーゼン

新卒で、UFO・宇宙人・ネッシー・カッパが1面を飾る某スポーツ新聞社に入社し、約24年在籍。その間、池袋コミュニティ・カレッジ主催の「後藤健生のサッカーライター養成講座」を受講。独立後は、映画・ドラマのレビューサイトなど、数社で執筆。
1993年のクラブ創設時からの清水エスパルスサポーター。1995年2月、サンプドリアvsユベントスを生観戦し、欧州サッカーにもハマる。以降、毎年渡欧し、訪れたスタジアムは50以上。ワールドカップは1998年フランス大会、2002年日韓大会、2018年ロシア大会、2022年カタール大会を現地観戦。2018年、2022年は日本代表のラウンド16敗退を見届け、未だ日本代表がワールドカップで勝った試合をこの目で見たこと無し。
“サッカーは究極のエンタメ”を信条に、清濁併せ吞む気概も持ちつつ、読者の皆様の関心に応える記事をお届けしていきたいと考えております。

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