12月2日に、Jクラブへの加入が内定した筑波大蹴球部の選手5人が会見し、意気込みを語った。筑波大といえば、今2024シーズンの天皇杯2回戦(6月12日町田GIONスタジアム)で、当時J1初昇格ながら首位を快走していた町田ゼルビアを相手に後半アディショナルタイムに同点に追いつき、PK戦で勝利するジャイアントキリングを成し遂げたことで称賛を浴びた。
J入りを決めた筑波大の5人は全て、この試合に出場していた。J入団5人という数字は、関東大学サッカーリーグ戦1部で優勝した明治大学サッカー部の6人に次ぐ多さだ。この会見を下級生の3年生であるにも関わらず、既にJの内定を決めている選手が見守っていた。町田戦でもスタメンフル出場していたDF諏訪間幸成だ。
ここでは諏訪間が表明するある意思を例に、Jリーグ新入団選手の中でもセカンドキャリアを意識している選手が増えている実情について考察する。
諏訪間が貫く意思「教育実習を優先する」
諏訪間は、横浜F・マリノスのジュニアユースからユースを経て、筑波大学に進学。186センチ、85キロのフィジカルを生かし、U-20日本代表にも選出され、2023年のAFC・U-20アジアカップに出場した。
その父は、全日本プロレスに所属している元3冠ヘビー級王者の諏訪魔(本名・諏訪間幸平氏)だ。プロレス入り前は、藤嶺藤沢高校柔道部で活躍し、中央大学に進学後にレスリングに転向、2003年の全日本選抜選手権フリースタイル120kg級で優勝したものの、五輪出場が叶わなかったことでプロレス入りした。
父譲りのフィジカルを持つ諏訪間だが、プロの門を叩く先輩を前にしても焦りを全く感じさせない。横浜F・マリノスユース時代の同級生で、日大GKの木村凌也が大学サッカー部を1年早く切り上げて、来2025シーズンから横浜FMに入団することを耳にしても、自分の意思を貫いている。
その意思とは、横浜FMから特別指定選手に選ばれたとしても「教育実習を優先する」というものだ。本人はサッカー一色だった青春時代を振り返り「勉強もしっかりとしたくて筑波大に来た」と語っているのだ。
元Jリーガーのセカンドキャリアの実情
毎年、新入団選手がプロの道を歩み出すと同時に、志半ばにして「契約満了」と称した戦力外通告を受け、泣く泣くスパイクを脱ぐ選手がいる。その数はおよそ50~60人といわれ、JFLや地域リーグも加えれば100人を超える。
日本におけるプロサッカー選手の平均寿命は25~26歳と言われ、単純計算で、高卒で約7年、大卒で約3年で芽が出なければクビになる厳しい世界だ。
元日本代表DF吉田麻也(ロサンゼルス・ギャラクシー)が会長を務め、引退後のキャリア支援も行う日本プロサッカー選手会(JPFA)の調べによると、引退した元選手の中で6割程度がJクラブのコーチやスタッフ、Jクラブ以外のサッカー関連の仕事に就いている一方、3分の1ほどが一般企業に就職。そのほとんどが“体力勝負”の営業職だという。そしてわずかではあるが、少ない可能性に賭け、アルバイトをしながらオファーを待っている者もいるのが実情だ。
J1やJ2ならサッカーだけで食べていけるが、J3以下のカテゴリーとなると、現役のプロサッカー選手でありながら、アルバイトなどの副業をしながらプレーを続ける選手もいる。
もちろん、プロになるまでの選手だ。それまでの人生をサッカー一本で過ごしてきたことは想像に難くない。そんな人間が20代半ばで、右も左も分からない社会に放り出されるのだ。「怖くない」と言う者の方が少ないだろう。運よくサッカーコーチの仕事にあり付けたとしても、その給料は微々たるもので、単年での業務委託契約だ。いつクビを切られるかも分からない恐怖は、現役時代と変わらない。
しかも家族を養っていかなければならないとなると、安定のために好きなサッカーを諦め、一般企業に転職する人も少なくない。それほどまでに、元Jリーガーのセカンドキャリアは厳しい。
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