その他 ALL

ルーニーだけじゃない!?選手兼任監督としての仕事を経験したレジェンド8選

ジャンルカ・ビアリ 写真提供: Gettyimages

ビアリ

選手兼任監督を務めた人の中で最も素晴らしい結果を残したのは元イタリア代表FWジャンルカ・ビアリだろう。

彼は1996年にイタリア代表のチームメートであったロベルト・ディ・マッテオ、そしてジャンフランコ・ゾラと共にアイデンティティを失ったチェルシーに加入した。まさかビアリが監督としても同クラブに栄光をもたらす人物となるとは誰も想像しなかっただろう。

1998年2月にチェルシーは監督を務めていたルート・フリット氏を解任。ビアリはプレイヤーと監督の両方の役割を務めることとなった。プレミアリーグ1997/98シーズンはすでに終わりを迎えていたにもかかわらず、EFLカップとUEFAカップウィナーズカップの2冠を手に入れることとなった。

ビアリはその後1999/20シーズンから監督の役割のみに専念してからも、多くの勝利を重ね続けた。


ルート・フリット 写真提供: Gettyimages

フリット

ビアリが監督に招へいされる前にチェルシーの指揮官を務めていた元オランダ代表MFルート・フリットも選手と監督の両方の役割を経験している。

1995/96シーズンにプレーイングマネージャーとしてチェルシー を支えることとなり、同クラブをFAカップ優勝に導いた。このことによりフリットは外国人として史上初のFAカップ優勝監督となった。

1998年2月にチェルシーを解任となってからニューカッスル(1998-1999)、フェイエノールト(2004-2005)、ロサンゼルス・ギャラクシー(2007-2008)、そしてロシアのテレク・グロズヌイ(2011)の指揮官を務めることとなった。


グレン・ホドル 写真提供: Gettyimages

ホドル

トッテナムで350試合以上をプレーしたイングランド代表MFグレン・ホドルは2度も選手兼任監督を経験し、イングランドサッカーの歴史に名を残した。

1回目のプレイングマネージャー経験は2部に所属したスウィンドン・タウン時代。同クラブで指導者としてのスタートを切ると1991/92シーズンにスウィンドン・タウンをFAプレミアリーグ昇格へと導いた。

そして、1993年にはチェルシーへと移籍。スウィンドン・タウンでの活躍もあり大きな期待を託されたものの、チェルシーでの3年間ではタイトルを手にすることができなかった。


ケニー・ダルグリッシュ 写真提供: Gettyimages

ダルグリッシュ

元スコットランド代表FWケニー・ダルグリッシュはセルティックで8年間(1969-1977)プレーした後、リバプールへと移籍し同クラブでレジェンドとなった。

1977年から1991年の14年間にダルグリッシュは選手、プレイングマネージャー、そして監督の3つの形で同クラブを支える存在となった。

その間にはプレミアリーグ優勝8回、チャンピオンズリーグ(CL)3回、FAコミュニティ・シールド7回など多くのタイトルを獲得したうえに、1983年にはバロンドールの投票で第2位となった。

ページ 2 / 2

名前Uccheddu Davide(ウッケッドゥ・ダビデ)
国籍:イタリア
趣味:サッカー、アニメ、ボウリング、囲碁
好きなチーム:ACミラン、北海道コンサドーレ札幌、アビスパ福岡

14年前に来日したイタリア人です。フットボール・トライブ設立メンバーの1人。6歳の時に初めてミランの練習に連れて行ってもらい、マルディーニ、バレージ、コスタクルタに会ってからミランのサポーターに。アビスパ福岡でファビオ・ペッキア監督の通訳も務めた経験があります。

筆者記事一覧