アーセナルへの移籍と代表での不調
ユーロで大活躍したアルシャビンは、すでに27歳だったにもかかわらず、複数のチームから目をつけられるようになった。その中で彼が選んだのがプレミアリーグのアーセナルだ。
ロシアと比較するとイングランドのサッカーのレベルは遥かに高いと言われているが、アルシャビンはリバプール相手に4得点を挙げるなど(2009年4月21日)素晴らしいプレーを継続し、その差を全く感じさせなかったのだ。
しかし、彼が所属していたアーセナルは、すでに2000年代の始まりに圧倒的な強さを見せたチームではなかった。アルシャビンは周りの選手とのコンビネーションや、アーセン・ベンゲル監督との関係があまり上手くいかなかったという。それによって少しずつスタメンのポジションを失うこととなった。
代表での活躍もイマイチだった。2008年のユーロの素晴らしい活躍を目の当たりにしたサポーターの期待が高まり過ぎ、アルシャビンは大きなストレスを抱えていたという。それもあってか、ロシア代表は2010年のワールドカップには出場できず、2012年のユーロではグループステージを突破できなかった。
家庭問題とサッカー選手としての没落
サッカーがうまくいかない中、家庭環境もあまり良くなかったという。
9年間以上付き合いのあった妻のユリアが三番目の子供を妊娠していた時、アルシャビンは彼女との離婚を求め、ロシア国内のある人気モデルとデートを始めた。
この新しい恋愛もきっかけとなり、彼は2012年にロシアに帰国、再びゼニトの選手となったが、サッカーへの情熱は失ってしまったかのように不規則な生活が始まることとなった。
サンクトペテルブルクのナイトクラブでは、複数の女性とパーティーをしてから馬をレンタルし、それで帰宅した事件が話題となった。アルシャビンはその街のクラブであったゼニトにもういられなくなった。
新皇帝(アルシャビンのニックネーム)は、ヒーローのようにロシアのサポーターの拍手を浴びて引退したと思う人が多いだろう。しかしそうではなかったのだ。ロシアのサッカー史を描いた彼は、最終的にクバン・クラスノダールで6ヶ月プレーしてから無名なカザフスタンリーグのカイラトでキャリアの終わりを迎えている。
コメントランキング