セリエA ミラン

レンティーニの不思議な人生。移籍金世界最高額の元ミラン選手がハチミツ専門家に?

ジャンルイジ・レンティーニ 写真提供: Gettyimages

ミランへの移籍とプロ人生を台無しにした事故

ミランもモンドニコ監督と同意見だったのだろう。1992年6月30日にロッソネーリ(ミランの愛称)は約30億円でレンティーニを獲得し、その移籍金は当時の世界最高額となった。それほどミランは彼のようなウイングを必要としていた。

ファビオ・カペッロ監督の元に渡ったレンティーニは、リーグ戦だけでなく、すぐにチャンピオンズリーグ(CL)の試合でも起用された。そして、ミランの選手として初となった1992/1993シーズンには7得点を挙げ、セリエA優勝にも貢献した。

しかし、1993年8月2日の夜、レンティーニのキャリアを台無しにした事件が起こる。ジェノアの100周年記念日を祝う大会が、シーズンオフ中にリグリア州で行われていた。その大会の帰り道、車がパンクしたレンティーニは、ガソリンスタンドでスペアタイヤを取り付けた。通常スピードを出してはいけないスペアタイヤで、彼は200kmで走り事故に遭ったのだ。

選手として復活できたものの、レンティーニが事故前の素晴らしいコンディションに戻ることは2度となかった。またそれによって、1994年のワールドカップ出場も断念することとなった。

レンティーニのミランでの経験は1996年に終わりを迎えた。ロッソネーリとして戦った4年の間には63試合中13得点を挙げ、リーグ3回、CL1回、スーペルコッパ・イタリアーナ(セリエAの前シーズン優勝チームとコッパ・イタリアの優勝チームが争う試合)3回のタイトルを手に入れている。

https://www.instagram.com/p/BxusI3BiLmV/?utm_source=ig_web_copy_link

リタイア後はハチミツ商売。趣味のビリヤードも

レンティーニは、ミラン退団後もキャリアを続けていた。セリエAのアタランタに移籍し、育ててくれたトリノにも再び戻った。その後もセリエBとセリエCの複数のクラブでプレーするも、事故の影響で2度とトップレベルでプレーできないことを理解した彼は43歳で引退している。

引退後、サッカー界に戻ることはなかった。そして、現在レンティーニは、このスポーツから遠く離れた業界でハチミツ商売に挑んでいる。ハチミツ業界に足を踏み入れたのは、子供の時からの親友がきっかけだったという。親友の夢を叶えるために会社を設立したレンティーニはハチミツにハマり、現在はこの業界の専門家になろうとしている。

複数のトップクラブのイベントや食事会に誘われるも、彼はそういった用事を全て断り、自然の中で静かに暮らしているらしい。唯一連絡を取り合い頻繁に会っているのは、ミラン 、フィオレンティーナ、パルマなどでプレーしていたディエゴ・フゼールだという。

そして、レンティーニにはもう一つ、大好きな趣味ができた。それはビリヤードだ。イタリア紙『レプブリカ』にはこう語っている。・

「(私は)とても上手だよ!今住んでいる街にはライバルになる人がいない。ビリヤードのプロ選手と対戦する時はあっさり負けるけどね」

「ビリヤードは父のルイージの趣味だった。子供の時はサッカーの練習の後に二人で遊んでいたんだ!」

サッカー選手として素晴らしい活躍を見せてくれたレンティーニだが、現在の生活にも非常に輝いていると思わないだろうか?

ページ 2 / 2

名前Uccheddu Davide(ウッケッドゥ・ダビデ)
国籍:イタリア
趣味:サッカー、アニメ、ボウリング、囲碁
好きなチーム:ACミラン、北海道コンサドーレ札幌、アビスパ福岡

14年前に来日したイタリア人です。フットボール・トライブ設立メンバーの1人。6歳の時に初めてミランの練習に連れて行ってもらい、マルディーニ、バレージ、コスタクルタに会ってからミランのサポーターに。アビスパ福岡でファビオ・ペッキア監督の通訳も務めた経験があります。

筆者記事一覧