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ウェイターから代理人の王に上り詰めた男…ミノ・ライオラの物語

写真提供: Gettyimages

サッカーのスターでもない、ゴールもしない、大会も優勝しないのに、ミノ・ライオラはサッカー界のトップに立っている。ライオラは現在サッカー界の一番有名なエージェント(代理人)になっています。ポグバ、イブラヒモビッチ、バロテッリなどは彼の事務所に所属している。

こんな説明をされたら、とても格好いいスーツを着たビジネスマンを想像するだろうが、ライオラは見た目的にサッカー選手と全然違う人物です。背も低くて、太っていて、ファッションセンスも良くない。しかし、彼のストーリーを知ると、とんでもない人物だとわかる。

初めての仕事がウェイターだった

ライオラはイタリアで生まれたが、1歳のときに両親と一緒にオランダに引っ越した。若い頃は家族の飲食店でずっと働いていた。お父さんもそれなりのビジネスマンであって、オープンしたお店はパニーニの店であったが、その後お店はピッツェリアに進化して、最後に高級レストランになった。

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ライオラはレストランに働くのが大好きだった。お客様と話すことで、人の性格や考えを理解するようになった。そして、16歳の時からレストランの会計の仕事を一人でこなすようになった。お店で学んだこの二つのことはエージェントの仕事にもいまだに役に立っている。

レストランで働きながらハールレムという街にあったサッカークラブでプレーをしていたが、ピッチの中の才能がなく、20歳でサッカーをやめました。しかし、彼の賢さに気づいていたハールレムの社長は彼をクラブの強化部長にした。それはライオラの大事なファーストステップであった。

マックドナルドのお店を買ったおかげで、初めての事務所を設立した。

19歳の時にマックドナルドのお店を引き継ぎ、売り上げあげてから数ヶ月後その店を売った。その取引の利益でエージェントの仕事を始めるために事務所を開いた。その時から彼はサッカー界の様々な有名な選手のエージェントになった。

写真提供: Gettyimages

キャリアの始まりに管理していた選手はほぼオランダ人だった。歴史に残る取引がたくさんある。1988年にあのライカールトをミランに連れて行った。そして、1993年にはベルカンプをアヤックスからインテルに移籍させた。いつの間にかライオラはこの世界の巨人になって、国に関係なく強い選手は彼の周りに集まり始めた。

イブラヒモビッチとの出会いでライオラという男の考えがわかる。

ライオラは変わった性格の持ち主である。しかし、胡麻をするタイプではない。ダイレクトに思っていることを伝えるタイプです。以前読んだイブラヒモビッチのバイオグラフィーに二人の初めての出会いが書かれていて、とても面白かった。イブラは彼のことをこう語る。

「ライオラと初めての打ち合わせだったので自分はグッチの革のジャケットをきて、ポルシェでホテルに向かった。とりあえずダサいイメージ出したくなかったから私の一番いい服で向かった。私よりかっこいい服で登場すると思ったが….なんだあれ?ジーンズにナイキのTシャツ…お腹がすごく出ていた。このデブはエージェントだというのか…正直戸惑った。頼んだ食事の量も半端なかった。頼んだものはほぼ一人で食った」

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イブラのライオラの第一印象は最悪だった。しかし、その後、ライオラは数字の書いたA4の紙を出した。その上に数字が書いてあった。ヴィエリ27試合25得点、インザーギ25試合20得点、トレゼゲ24試合20得点、そしてイブラの名前…25試合5得点。

「こんな数字であなたを売れると思う?その時計とそのポルシェでかっこいいだと思っているでしょう?関係ない。世界一になりたいのか?世界一になりたいなら、今より3倍努力しなきゃ。少し考えてもいいが、私と組むなら、私のいうことが絶対」とライオラが言った。

イブラヒモビッチに対してこんなことが言えるなんて…よっぽどの勇気がなければ、絶対にできないことだった。しかし、これでなんとなくお分かりでしょう。ライオラが0からトップまでたどり着いたのはまぐれではない。

名前Uccheddu Davide(ウッケッドゥ・ダビデ)
国籍:イタリア
趣味:サッカー、アニメ、ボウリング、囲碁
好きなチーム:ACミラン、北海道コンサドーレ札幌、アビスパ福岡

14年前に来日したイタリア人です。フットボール・トライブ設立メンバーの1人。6歳の時に初めてミランの練習に連れて行ってもらい、マルディーニ、バレージ、コスタクルタに会ってからミランのサポーターに。アビスパ福岡でファビオ・ペッキア監督の通訳も務めた経験があります。

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