セリエA ユベントス

25年在籍したユベントスを退団。偉大なるマルキジオのキャリアを振り返る

イタリア・セリエAのユベントスは17日、元イタリア代表MFクラウディオ・マルキジオとの契約を両者合意の上で解除すると発表した。クラブは「マルキジオはユベントスで25年間にわたる冒険を終えた。すべてに感謝する」とコメントしている。そこで今回はクラウディオ・マルキジオがユベントスとイタリア代表で歩んだキャリアを振り返りたい。

20歳にして出場機会を確保

1993年にユベントスの下部組織に入団。2006/2007シーズン途中にトップチームに昇格すると、弱冠20歳にしてレギュラーポジションを確保。第36節ジェノア戦以降は7試合連続先発フル出場を果たし、セリエA昇格に大きく貢献した。

武者修行

セリエBに降格していたユベントスで2006/2007シーズンは出場機会を得たマルキジオだったが、翌年は経験を積むためにエンポリへ期限付き移籍を果たした。

エンポリは前年度7位に入り、UEFAカップにも参戦したが、2007/2008シーズンは18位と低迷。マルキジオはリーグ戦26試合に出場したものの、セリエB降格を防ぐことは出来なかった。

低迷期に成長

ユベントス復帰を果たしたマルキジオだが、クラブは2008/2009シーズンから2010/2011シーズンまで苦しい3年間を過ごしている。セリエA2年目にクラウディオ・ラニエリ監督が成績不振で途中解任されると、翌シーズン途中に再び監督交代。3年間に渡ってシーズン無冠の状態が続き、UEFAヨーロッパリーグでもグループステージ敗退を喫するなど低迷期を迎えた。

しかし、マルキジオはクラブの低迷期に着々と実力を伸ばした。2008/2009シーズン開幕前に開催された北京オリンピックにイタリア代表として参戦。主力選手として国際舞台で経験を積むと、クラブでもセリエA第20節フィオレンティーナ戦でチームを勝利に導く決勝点を奪取。セリエA自身初ゴールを記録した。

2009/2010シーズンもセリエAで28試合に出場するなど主力として活躍。セリエAでの活躍が評価され、同年にスイスとの国際親善試合でイタリアA代表デビュー。2010年FIFAワールドカップの代表メンバーにも選出された。

2010/2011シーズンは試合中に初めてキャプテンマークを任され、シーズン終了後には自身初のセリエAベストイレブンを受賞。リーグを代表する選手へと成長した。

黄金時代を支えた

2011/2012シーズンからアントニオ・コンテ監督が招聘されるとクラブは黄金時代に突入。マルキジオは同シーズン開幕前に加入したアンドレア・ピルロ、アルトゥーロ・ビダルらと共にリーグを席巻。自己最多となる36試合に出場し、2年連続のセリエAベストイレブンに選出、キャリア通算200試合出場を達成した。23勝15分無敗のままシーズンを終え、セリエA復帰後初優勝に大きく貢献した。

2012年にEURO2012(欧州選手権)にイタリア代表の主力選手として参戦。イタリアの決勝進出に大きく貢献してさらに評価を高めた。

2012/2013シーズンはアレッサンドロ・デル・ピエロが退団。背番号10の後継をクラブから提案されるもこれを拒否している。打撲と筋肉系のトラブルで欠場した数試合を除いてほとんどの試合に出場し、UEFAチームオブザイヤーにノミネートされた。

2013/2014シーズンはリーグ戦29試合に出場し、セリエA通算200試合出場を達成。翌シーズンもリーグ戦35試合出場、UEFAチャンピオンズリーグベストイレブンに選出されるなど活躍。ユベントスの中盤を支え続け、セリエA4連覇達成に大きく貢献している。

怪我との戦い

2015/2016シーズンは開幕から肉離れを起こして出遅れるも、従来よりも低い位置にポジションを移し、アンドレア・ピルロ退団後の中盤を支えた。しかし、2016年4月のパレルモ戦で左膝十字靭帯断裂の大怪我を負ってしまう。全治6ヶ月となり、残りのシーズンとEURO2016の欠場を余儀なくされた。

2016/2017シーズン途中の2016年10月に戦列復帰。セリエA250試合出場を達成したが、怪我の間にチーム内の序列は下落。サミ・ケディラにポジションを奪われ、わずか18試合の出場にとどまった。

昨シーズン(2017/2018)は8月に膝の怪我、1月に筋肉疲労などで離脱。復帰後も出場機会を得られず、2006年のトップチームデビュー以降、最少となるリーグ戦15試合のみの出場となった。

退団決定。移籍先は?

近年、出場機会を失ったことからMLS(メジャーリーグサッカー)やJリーグなどへ移籍の可能性が報じられたが、本人はあくまで残留を明言していた。しかし、17日に双方の合意に基づきユベントスとの契約を解除。下部組織時代から含めると25年所属したクラブからの退団が決定した。

移籍先はどこになるのか各国メディアは多くのクラブの名前をあげている。有力候補の一つがMLSのモントリオール・インパクトだ。昨シーズン途中にニック・デ・サンクティスSDがトリノを数回訪問し、マルキージオに移籍を打診していたとも報じられている。また、元スペイン代表FWダビド・ビジャらが所属する同リーグのニューヨーク・シティやフランス1部のモナコなども獲得に興味を示しているとみられている。

Jリーグ参戦の可能性も期待したい。マルキジオはイベント参加のため、今年6月に訪日。東京・銀座などを訪問したマルキージオは「世界の向こう側でも家にいるように感じられるなんて! 日本はイタリアと同じくらい心が安らぐ!」とイタリア語、英語、日本語で日本への好感を綴っている。イタリア国内でも未だ具体的なチーム名は挙がっていないものの、アンドレス・イニエスタやフェルナンド・トーレスら世界的スター選手が日本へ移籍していることから、Jリーグ移籍の可能性も報じられているようだ。