アジア ワールドカップ

W杯で伝説的なゴールを決めた“砂漠のマラドーナ”オワイラン

1994年ワールドカップで伝説的なゴールを決めたオワイラン 写真提供:Getty Images

 しかしオワイランのキャリアに汚点がないわけではない。1994年ワールドカップでのスペクタクルに満ちたゴールによってサウジアラビアでセレブリティとなった彼にとって、名声は諸刃の刃だった。強烈なスポットライトを浴びたことは、オワイランに悪影響を与える。

 報道によれば、彼は地元の警察とトラブルを2回起こした。最初はアル・シャバブを許可なく離れ2週間カサブランカに滞在したことで、罰金と警告を受けている。2度目の問題はより深刻だった。1996年のラマダーン中、同僚とともにアラブ人でない女性たちと飲酒していたことが発覚したのだ。これにより罰金と警告だけでなく、オワイランは1年間サッカーに関わる活動を禁止され、6ヶ月の禁固刑に服した。

 この間彼は一人でのトレーニングを余儀なくされ、代表チームが1996年アジアカップを制し1998年ワールドカップ予選を突破するのを見つめるしかなかった。オワイランは後のインタビューで、1年間の活動禁止が自身にとって最悪の罰だったと語っている。

 この処分期間の後でも、オワイランはフランスに向かうサウジアラビア代表に選出された。しかし残念ながら1998年ワールドカップでは2試合の出場にとどまり、チームも3試合で勝ち点1しか得ることができなかった。

 その行いは完ぺきではなかったが、オワイランは今もサウジアラビアサッカー界の象徴であり、レジェンドだ。代表チームでの75試合で決めた24得点には、もちろん ワールドカップ史上に残る有名なゴールも含まれている。

著者:ディディエウ

フットボール・トライブ・インドネシア専属ライター。

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