フィオレンティーナのキャプテン、ダビデ・アストーリの訃報はイタリア国内だけでなく、世界中のサッカーファンに大きな悲しみをもたらした。クラブは亡くなった名プレーヤーたちの象徴となる背番号を不朽のものとするために、永久欠番とするケースが多い。今回はこの世を去ってもなお、クラブの象徴として称えられる名選手をご紹介する。
ダビデ・アストーリ
ミラン下部組織出身のアストーリの訃報は予期せぬものだった。ウディネーゼ戦に備え、ホテルで眠っている際にアストーリを悲劇が襲った。彼の背番号『13』はフィオレンティーナと彼が長年在籍したカリアリの永久欠番となった。安らかに、アストーリ。
シェイク・ティオテ
トゥエンテで頭角を現し、ニューカッスルなどで活躍したティオテは2017年に加入した中国の北京控股でトレーニング中に心臓発作を起こし、30歳の若さでこの世を去った。クラブは彼の背番号『24』を永久欠番とすることを発表した。
マルク・ビビアン・フォエ
オリンピック・リヨン、ウェストハム・ユナイテッド、マンチェスター・シティなどで活躍したフォエは2003年6月に28歳という若さでこの世を去った2003年のコンフェデレーションズカップ準決勝、コロンビア戦で彼を心臓発作が襲い帰らぬ人となった。シティは彼の背番号『23』をクラブの永久欠番とすることを決定した。
フェへール・ミクローシュ
ミキの愛称で親しまれたミクローシュはベンフィカ在籍時の2004年に24歳という若すぎる年齢でこの世を去った。ビトーリア戦の後半から投入された彼は、試合終了間際にピッチに倒れこみ、後に心停止で死亡が確認された、ベンフィカは彼の背番号『29』を永久欠番に。ジョゼ・モウリーニョなど、多くの人々が弔問に訪れた。
ピエルマリオ・モロジーニ
リボルノに所属していた2012年、ペスカーラとの試合で彼を心筋梗塞が襲った。心停止に陥ったモロジーニにAEDなどで治療が行われたが、病院到着に前に死亡が確認されたという。25歳という若さで亡くなった彼の背番号『25』はリボルノの永久欠番となった。
アントニオ・プエルタ
セビージャ下部組織出身のプエルタは主力として活躍を見せていたが、2007年の開幕戦で不整脈源性右室心筋症という遺伝などによって起こる病魔に襲われた。試合中に意識を失い緊急搬送。必死の治療が行われたが、3日後に死亡が確認された。彼の死に2万人以上の弔問者が訪れたという。セビージャは彼の背番号『16』を永久欠番とした。22歳という若さでの死は、サッカー界に大きな衝撃を与えた。
ダニエル・ハルケ
エスパニョール下部組織出身でトップチームデビュー後も主力として活躍していたハルケだったが、2009年の8月に恋人の通話中に帰らぬ人となった。訃報を聞いた数多くのサポーターがスタジアムに駆け付けたという。クラブは彼の背番号『21』を永久欠番に。スタジアムの21番ゲートはプエルタ・ダニ・ハルケ(ダニ・ハルケのゲート)と呼ばれている。
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