もし、リケルメが詩人であったとすれば、彼はバイロンよりもホメーロスだと言えよう。観察したものを書くよりも、物語を作る方が合っているだろう。彼のプレーは古めかしいと、人々は言うかもしれない。しかし、その意見は未来的だと批判することもできるだろう。結局のところ、アンドレア・ピルロ、トニ・クロース、シャビ・アロンソ、セルヒオ・ブスケッツといった近年の優秀なゲームメーカーたちは、彼らの明らかに簡素で、シンプルなアプローチにより際立っているのだ。リケルメは相手とやり合うのではなく、相手を自分のやり方に陥れて、鋭い角度のパスと一見眠気を誘うような彼の姿から、驚くべき速攻を仕掛けた。
リケルメが、労働者階級のクラブであるボカ・ジュニアーズと、周りの選手が彼の意志に合わせることができる、ビジャレアルのようなクラブの両方で象徴的な選手になったことは注目すべきだろう。ボカは2000年のレアル・マドリードとのインターコンチネンタルカップで、リケルメを特徴づけるパフォーマンスを観た。試合開始から6分間で2得点し、ボカに勝利をもたらしたマルティン・パレルモがこの試合の主役だったが、リケルメは真のマエストロだった。際立った選手がこれほど神出鬼没だったことはない。コンドルのように遠く離れて姿をくらましていた彼は、格下の選手たちが忙しく走り回る中、ポゼッションを維持するためにタッチラインへと避難した。リケルメは少しずつ彼のペースに試合を持ち込み、ルイス・フィーゴやロベルト・カルロスなどは、奇妙にも穏やかな心地でいる自分自身に気づいたことだろう。
リケルメは好奇心を刺激する存在だった。彼の遅い足取りは遠慮がちなものだったが、彼の態度からはどれだけチームを気にかけていたかが受け取れる。情熱は彼にとって問題ではなかったが、それが彼の破滅のひとつの原因となったのかもしれない。アルゼンチン代表のプレーメーカーとして、彼はディエゴ・マラドーナの足跡をたどるという重責を担った。それはリオネル・メッシですらも背負ったことのない不幸な負担だった。リケルメがワールドカップで活躍できなかったことは、歴史に汚名を残すかもしれない。もしそうだとしたら、歴史家はポイントを逸している。彼の栄光がとるに足らないものであるかのように考えるのは間違っている。彼はコパ・リベルタドーレスを3度勝ち取り、驚くことにアルゼンチン代表では51試合で17得点を記録している。しかし最も重要なのは、リケルメの永続的な才能が、何年も前に私を怖がらせた昆虫たちが備えていたものと通ずるものであることだ。それは何度も、時間停止を芸術へと変化させたことだ。
著者:Musa Okwonga
ドイツはベルリンに在住のサッカー・ジャーナリストであり、ライター・『ESPN』など、複数メディアに寄稿している著者。
Twitter:@Okwonga
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