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「メッシ二世症候群」とそれに苦しめられた選手たち

ストーク・シティのボージャン・クルキッチ 写真提供:Getty Images

 ボルシア・メンヒェン・グラートバッハで18歳当時に印象的な活躍を見せたマルコ・マリンはすぐに「ドイツのメッシ」の称号を背負わされた。ベルダー・ブレーメンで活躍した後すぐに大きな金額が動いた。彼のパフォーマンスが急落したにもかかわらず、高額な評価はチェルシーからセビージャ、アンデルレヒト、そのほかのクラブのどこまでもついて回った。「ドイツのメッシ」の称号は彼の衰退を招いた呪いとなり、よりよいキャリアを築けた選手としてではなく、多くの人が「失敗作」として永遠に記憶するだろう。

 それはボージャン・クルティッチの物語にも似ていたが、ここでは少なくとも誤った比較との関連性はあった。大活躍したラ・マシアから卒業したスペイン人フォワードはわずか17歳と19日でバルセロナデビューを果たし、メッシの記録を塗り替えた。1年目での10ゴールはスーパースターの到来を発表した形になり、それにもましてクルキッチはある特定の部分もメッシに似ていた。身長が低く、才能が豊かで、いいヘアカットが必要なヘアスタイル。

 短い期間、彼はカンプ・ノウの次のスターになった。ワンダーボーイは何も間違ったことをしていなかった。彼は「メッシ二世」だったのだ。

 悲しいことに彼の巨大な約束は解かれ、最終的にはベンチ要員に落ちぶれてストーク・シティと契約するまでイタリアとオランダへのレンタル移籍に耐えることになったのだ。偉大なマエストロがストークで水曜日の夜に寝られるかどうかについて、何度も冗談で尋ねられている。最終的に彼は対応できず、今はデポルティーボ・アラベスにレンタル移籍している。

「メッシ二世症候群」がクルキッチのキャリアを降下させたと非難するのは間違っているかもしれないが、それが原因ではないと合理的に主張できる者はいるだろうか。誰かの偉大さを通してあらゆるタッチを観ることなく、プロサッカー選手としての道を築いていくのは困難なことだ。

 同じことが、時期尚早に超一流選手との全く非現実的な比較をされたことが原因でキャリアを縮められたほかのすべての選手に当てはまる。マルコス・モレノ、ファン・マヌエル・イタルベ、「スコットランドのベビー・メッシ」ことライアン・グールド、「韓国のメッシ」ことイ・スンウ、セバスティアン・ジョビンコ、アダム・マヘル。正直に言ってこのリストは無限に続く。このリストは彼らではなく私たちを罰するものだ。

 神の子が舞い降りたとき私たちは分かるだろう。それまでは推測する必要はない。

著者:Stephen Tudor

フリーランスライター。『フォー・フォー・トゥー』、『ベットフェア』、『ユニベット』などに寄稿している。

Twitter:@SteTudor123

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