浦和、10年ぶりにアジアの頂点へ 。粘りの守備とラファエル・シルバの決定力
著者:チアゴ・ボンテンポ
1985年生まれのブラジル人ジャーナリスト。サンパウロ在住。幼少期よりスポーツとりわけサッカーを愛する。大学時代にジャーナリズムを専攻し2011年よりブラジル『Globo Esporte』で日本サッカーを担当している。ブラジルのボタフォゴ、アーセナル、そして日本代表の熱烈なサポーターである。将来の夢は日本語を流暢に扱うこと、富士山登頂、Jリーグスタジアムを巡ること。
Twitter: @GunnerTNB
日本サッカー界の最も巨大で熱狂的なファンらにとって、10年の待ち時間と苦悩があった。チーム史上おそらく最も強かった2007年のAFCチャンピオンズリーグタイトル獲得以降、浦和レッズは大きなトロフィーを獲得できていなかったのだ。2011年には降格に脅かされるまでに低下し、当時は臨時だった掘孝史監督がクラブを救った。
2012年から2017年の半ばまではミハイロ・ペトロヴィッチ監督時代が続き、この埼玉を拠点とするクラブはもう1度大きな夢をみる。選手陣への投資がされ、毎シーズン優勝候補としてスタートした時代。美しく攻撃型の試合をしてきたが、決定的な瞬間にはいつも失望の結果となった。結局2位に終わったのがJ1で2回、Jリーグ杯で1回、さらに天皇杯で1回、もちろん劇的なACL予選も含まれる。同セルビア人監督が獲得したトロフィーは、昨年のJリーグ杯で1度だけとなった。何よりも、重要な局面で運が味方しなかった。ペトロヴィッチ監督は「不運な天才」だった。
2017年の浦和は急上昇でスタートし、高得点で勝利を重ねていった。しかし相手チームはすぐに浦和の無防備な守備を利用する方法を学び、次第に崩壊していく。ペトロヴィッチ監督はプレースタイルを変えることに消極的で、ACLのトーナメントは進むことができたものの、J1の試合では次々につまずいた。
7月の終わりにクラブはこれ以上我慢できず、ペトロヴィッチ監督は退任となる。再び堀監督が問題を解決するために呼ばれ、チームの穴であった守備の安定に集中する選択をした。初めは良い結果をもたらし、守備陣の掲示も有望なものだったが、パフォーマンスは依然として非常に変わりやすかった。
そして川崎フロンターレを相手にしたACL準々決勝での奇跡が訪れる。第1戦は等々力陸上競技場にて3-1で敗北し、第2戦でも1点を許すと、状況は絶望的と思われた。しかし浦和は信じられない逆転を果たし、4-1で勝利、2戦合計5-4で準決勝進出を決めた。
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