槙野智章(2022年引退)
移籍元:サンフレッチェ広島(2006-2010)
移籍先:ケルン(2010-2012)
生まれ育った古巣を裏切り“アンチ”を生む結果に
サンフレッチェ広島に所属していた2010シーズン、初のベストイレブンに選出されただけではなくDFながら警告も退場もなく、フェアプレー個人賞を受賞したDF槙野智章。しかし、その前年に日本代表に選出されたことで、槙野の心は既に海外に飛んでいた。代表で海外組のMF長谷部誠(当時ヴォルフスブルク)やMF香川真司(当時ボルシア・ドルトムント)と交流しているうちに刺激を受け、ブンデスリーガへの移籍を目指すことを決心する。
広島からの契約延長オファーを断った上で、長谷部、香川と同じトーマス・クロート氏と代理人契約し単身渡独。ドルトムントとホッフェンハイムのトライアウトを受けるが入団はならず、本人は「浪人も覚悟した」と肩を落として帰国したが、同年限りで浦和レッズの監督を解かれてケルンのスポーツディレクターを務めていたフォルカー・フィンケ氏の目に留まり、フリーでの完全移籍を果たす。
デビュー戦となる2011年1月29日のザンクトパウリ戦で先発出場したものの、チームは0-3の完敗。これが最初で最後の先発出場となった。以降は途中出場が多くなり、翌2011/12シーズンにはセカンドチームでの出場という屈辱を味わい、J復帰を決意する。
槙野が選んだのは古巣の広島ではなく、恩師のミハイロ・ペトロヴィッチ監督が就任した浦和だ。半年間のレンタル期間を経て完全移籍に移行し、2021シーズンまで2度のJ1優勝と天皇杯優勝に貢献。特に2021年の天皇杯決勝(大分トリニータ戦/2-1)では、自らが後半アディショナルタイムに決勝ゴールを決める千両役者ぶりを見せた。
しかしながら、広島のサポーターは槙野の浦和への移籍を“裏切り”と断じ、引退した今でも許していない者が多い。それは、12月14日、槙野が現役最後に所属したヴィッセル神戸の本拠地ノエビアスタジアム神戸で開催された引退試合に招かれた広島OBが、ともに浦和に移籍したGK西川周作と、今シーズン限りで引退の元愛媛FCのDF森脇良太のみだったという事実が裏付けている。
現在は解説者と並行して、神奈川県社会人サッカー1部の品川CCで監督を務めながら、S級コーチライセンス取得を目指している槙野氏。移籍の経緯や特異なキャラクターから選手時代は“アンチ”も多かったが、監督ライセンスを1年でも早く取るために、2022年に移籍した神戸では1シーズンのみのプレーで引退を決めたという。
欧州移籍は失敗に終わり、代表でもレギュラーポジションを掴むことはできなかったが、広島時代も浦和時代もチームリーダーでムードメーカーでもあった槙野氏。ライセンス取得後、どのような監督になるのか、期待して待ちたい。
川口能活(2018年引退)
移籍元:横浜F・マリノス(1994-2001)
移籍先:ポーツマス(2001-2003)ノアシェラン(2003-2004)
日本サッカー史上最高のゴールキーパーさえも…
日本サッカー界初となるGKの欧州移籍。GK川口能活は1994年、清水市立商業高校主将として全国高校サッカー選手権大会で優勝し、鳴り物入りで横浜F・マリノスに加入。2年目にレギュラーポジションを奪取すると、チームはヴェルディ川崎を下し年間優勝し、川口自身も新人王を獲得した。1996年アトランタ五輪では、ブラジル代表を破る“マイアミの奇跡”を演出。常にスター街道を歩んできた。
そんな川口の獲得に動いたのは、イングランドのEFLチャンピオンシップ(実質2部)のポーツマスだった。推定移籍金はポーツマス史上最高額の270万ポンド(当時のレートで約3億2000円)、年俸約5,000万円という破格の契約だった。2001年11月3日のシェフィールド・ウェンズデイ戦(3-2で勝利)で英国デビュー。翌2002年1月4日のレイトン・オリエント戦では、日本人選手として初めてFAカップに出場した。
しかし、ウェストハム・ユナイテッドからトリニダード・トバゴ代表GKのシャカ・ヒスロップが加入すると、川口の起用は激減。ポーツマスの会長からは「日本に帰った方がいい」と心ない言葉を浴び、朝起きるのも辛かったと本人は当時を振り返っている。チームは2002/03シーズンに優勝し、プレミアリーグに昇格したものの、川口はプレミアリーグに出場できないまま、英国を後にした。
2003/04シーズンを前にフリーの身となり、デンマークのノアシェランに移籍。10月5日のヘアフュルエ戦で、デンマーク・スーペルリーガでデビュー。しかし、後にデンマーク代表となるGKキム・クリステンセンにポジションを奪われ、出場機会を失っていった。
欧州挑戦を続けた3シーズンでの出場は通算20試合に終わったことで、日本代表での序列も変わり、同い年のGK楢崎正剛(当時名古屋グランパス)にレギュラーポジションを奪われた川口。2002年W杯日韓大会では控えに甘んじた。
2005シーズンにジュビロ磐田に移籍しJ復帰、その後、FC岐阜(2014-2015)、SC相模原(2016-2018)を経て、現役引退。日本サッカー協会のナショナルトレセンコーチを務め、現在は磐田でGKコーチを務めている。
GKとしての能力以前に、言語の壁に跳ね返された印象が強いが、その後、GK川島永嗣(現ジュビロ磐田)、GK権田修一(現清水エスパルス2024シーズンで退団)、GK中村航輔(現ポルティモネンセ)、GKシュミット・ダニエル(現ヘント)、GK鈴木彩艶(現パルマ)、GK小久保玲央ブライアン(現シント=トロイデン)らが欧州移籍を果たしている。その道を作ったのは、間違いなく川口氏なのだ。
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