
日本代表DF酒井宏樹が所属しているオリンピック・マルセイユは、2月6日(日本時間)のサンテティエンヌ戦、そして今朝(2月9日)行われたトゥールーズ戦の2連勝で、見事にリーグ・アン2位の座を守ることができた。
マルセイユが良い順位をキープできている理由の1つとして、チャンピオンズリーグ(CL)やヨーロッパリーグ(EL)に高い確率で参加するリヨン、リール、サンテティエンヌのような強豪クラブが不調なことは確かにある。しかし、2011/2012シーズンのクープ・ドゥ・ラ・リーグ(フランスのカップ戦の1つ)から、8年間タイトルから遠ざかっているマルセイユは、今少しずつ以前の強さを取り戻すことに成功している。
この復活は、結果的にも経済的にも苦しかった時期を経て確立されてきたポリシーのおかげと言えよう。マルセイユの苦境から復活までを振り返ってみたい。

マルセイユ経営者の過去の誤ち
この数年の間、マルセイユに優勝のチャンスがなかったわけではない。2016年にはクープ・ドゥ・フランス(フランスのカップ戦の1つ)の決勝まで進むも、パリ・サンジェルマン(PSG)に敗れた。2018年にはELの決勝まで粘ったものの、アトレティコ・マドリード相手に3-0という厳しい結果で敗れ、このタイトルも手に入れることができなかった。
過去10年間にクラブの状況が悪化した最大の原因は、トップの人間だと思われる。普段クラブの社長が変わることなどそんなに頻繁にないものだが、マルセイユは2009年から4回も社長を変えてきた。
この適当な管理から、2019年には大きな経済問題に発展した。7850万ユーロ(約98億1250万円)という莫大な赤字を抱えたマルセイユは、ファイナンシャル・フェアプレー(FFP)による補強禁止処分を受け、それを避けるためにUEFA(欧州サッカー連盟)から提示された収益改善案を受託した。
これを受けてマルセイユは、ようやく自らの過ちに気づき、生まれ変わるための方法を探し始めたのである。

指揮官交代から再スタート
まずは、2016年10月からこのチームの指揮を取っていたリュディ・ガルシア監督が、2019年5月22日に解任された。彼の元での2018/2019シーズン、マルセイユは散々だった。クープ・ドゥ・フランスでは、4部のアマチュアクラブのアンドレジューを相手にまさかの敗戦(0-2)を味わった。ELでは、4敗1引分の酷い結果で大会を去ることとなった。
ガルシア監督の後継者になったのは、現在もマルセイユを導いているアンドレ・ビラス・ボアス監督だ。彼はイングランドのチェルシーとトッテナム、そしてロシアのゼニト・サンクトペテルブルクで監督を務めてから、39歳の若さで中国に渡り、上海上港でも監督を経験してきている。
しかし、自分のサッカースタイルに不安を感じていたビラス・ボアスは自分を見つめ直すために一旦監督をやめ、世界一過酷なモータースポーツ競技と言われているダカール・ラリー(1978年から開催されているラリー競技大会)にレーシング・ドライバーとして参加した。
その厳しい経験は、ビラス・ボアスをさらに冷静な監督に変えた。プレミアリーグ時代のアグレッシブなサッカースタイルには無謀なところもたくさん見受けられたが、マルセイユでは守備から攻撃までの全てのステップが明確になり、相手の陣地での高いプレスはほぼ見られなくなった。
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