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ズデネク・ゼーマン 写真提供:Getty Images
40年近い監督キャリアを誇り、超攻撃的なスタイルでローマやラツィオ、ペスカーラといったクラブでその手腕を評価されてきたズデネク・ゼーマン氏が、ローマ監督時代の苦悩を語った。26日、チェコメディア『Denik Sport』が報じている。
ゼーマンは1994年からラツィオで3年間にわたって指揮をとり、直後にライバルクラブであるローマの監督に就任した過去を持つ。ローマではフランチェスコ・トッティの才能を開花させるなどその手腕を評価されている。しかし、ライバルクラブへの監督就任には多くの苦悩があったようだ。
「ローマのフランコ・センシ会長が電話してくるとは思いもしなかった。スポーツ・ディレクターから電話が来て、私も彼を知っていた。それで契約を結んだんだ。私がプラハ(チェコの首都)にいたときに、ローマから電話があった」
「ローマの空港に到着すると、何人かのラツィオサポーターがいた。そして私に『あなたは正しい、ローマに行くことができる』と言ったんだ。通常なら起こりえないことだ。強大なライバル関係にあるからね。最初のダービーでラツィオに敗れたときにはローマのサポーターから『俺は元々ラツィアーレ(ラツィオサポーター)だった』と言われたよ」
「勝ち点3は3だ。だけど、誰もがダービーのために生きている。ローマにもラツィオにも友人がいるんだ。自分自身を半分にすることはできない。私は両生類なんだ」
「ラツィオを離れる時には涙を流した。サポーターたちは私を残すために、請願書をまとめていた。私はまだ若く、難しかった」
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