長友佑都、インテルでの8シーズンでの評価
著者:マッシモ・カッレガーリ
イタリア『メディアセット』のプレゼンターを務めるフットボールジャーナリスト。1996年に『Tele+2』にて解説者としてのキャリアをスタートさせ、『Eurosport』『Sportitalia』のコメンテーターを務めている。
Twitter: @MaxCallegari
日本代表DF長友佑都はにとってインテルで8シーズン目となる2017/2018シーズンが開幕した。シーズンを重ねるについれて、彼のインテルでのプレー時間は少なくなっている。インテルがチェゼーナから獲得した頃、みんなが興奮していたあの光景は遠くに感じられるようになってしまった。
2011年1月、長友はセリエAで半年間しかプレーしていなかったが、インテルは彼を獲得するため700万ユーロ(約9億円)に加えて、3人の選手を買取オプションと共同保有で譲渡した。移籍金は高かったが、“三冠”後のチームを改めて構築ための契約だった。しかし、元ブラジル代表DFマイコン、元アルゼンチン代表DF(現インテル副会長)ハビエル・サネッティ、元ルーマニア代表DFクリスティアン・キブの功績を受け継ぐのは簡単ではなかった。
長友は最初の3年半で良いプレーを見せていたが、2014/2015シーズンの序盤でいきなりパフォーマンスが低下してしまった。正確に言うと、苦悩の始まりは2014年9月末のインテル対カリアリ戦だ。その試合までイタリア人指揮官ワルテル・マッツァーリ監督が率いていたインテルは2勝2分けの成績を残していた。長友も好調なプレーを継続し、特にサッスオーロ戦の7-0の勝利で、このシーズンも華々しい活躍をすると思われていた。カリアリとのホームゲームで、全てが破壊されてしまった。長友は2つの愚かなファウルで退場し、長友と一緒にインテルも太陽に沈み、カリアリに4-1で負けてしまった。この失敗の影響で長友が再び先発でプレーするようになったのは11月で、マッツァーリ監督の最後の試合だった。
後にマッツァーリ監督の後継者として就任したイタリア人指揮官ロベルト・マンチーニ監督は、長友が当時の日本代表指揮官でイタリア人のアルベルト・ザッケローニ監督に呼ばれるまで長友を信頼することにした。しかしイタリアに帰ってから一ヵ月が経過したころ長友は怪我をしてしまい、年が明けてからの2月に長友のシーズンは終わってしまった。その頃から良いプレーをしたり、しなかったりするという不安定なパフォーマンスが見られるようになった。その中でも2つのことが安定していた。一つは、長友の明るい性格と彼のタクティカルなスキルがインテルの選手に愛されていたことだ。もう一つ長友はハイレベルなセリエAでは連続的に良いパフォーマンスを披露することができなくなっていたことだ。
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